My History これまでの歩み

【櫻井淳子】
元物理化学研究者。妊娠・出産における体調不良時にピラティスに出会う。日本でも世界と変わらないピラティスの真髄を伝えたいという信念のもと、本場米国 にてトレーニングを重ねる。Pat Guytonをはじめ、世界を代表するマスターティーチャー達から学び続ける。

さらに、エルダー(ピラティス氏直弟子)の一人であり、かつ現在では世界で唯一のピラティス氏からの認定者として活動しているロリータ・サンミゲェルより第二 世代ピラティスティーチャーに認定される。

また国内で初めてのLolita’s Legacyのエデュケーターとなり、ジョセフ・ピラティス及びクララ・クララピラティスから直系のピラティスの真髄を国内へ普及させるために勢力的に取 組んでいる。 自社スタジオの他、指導者の育成、各種講師、スタジコンサルティング、メディア出演等、ピラティスを通して全国的に活躍している。

【ヒストリー】

ピラティスとの出会い

元物理化学研究者。生涯理工系の道を進むつもりでいたが、結婚を機に静岡県沼津市に移住。
急な環境変化に加え、妊娠により酷い体調不良に陥る。出産までの10 ヶ月間は寝たきり生活を余儀なくされ、心身の健康を酷く崩し、妊婦でありながら精神安定科にも移送される。薬を多用するなど、心身ともに酷い状況に追い込 まれた妊娠生活となった。
何とか無事に出産したものの、子育てをする体力もなければ気力すらない日々。体調は回復する事なく、乳児を見ては何もできずに呆然とし、育児すらできない 状況に悩む日々が続く。そんな中、せめて体力だけでもつけようと藁をもつかむ想いで購入したエクササイズの本が、偶然にもピラティスとの出会いだった。

その本で出会った、運命の言葉。

「はじめの10 レッスンで気分がよくなり、次の10 レッスンで見た目がよくなり、最後の10 レッスンで新しいカラダに生まれ変わる。 ジョセフ・ピラティス」

この言葉に心奪われ、まずは30 日間、一日も休まず取組んでみることに。気がついたら、あんなに毎日かかさず飲んでいた薬が不要になっていることに驚く。さらに90 日間休まず続けると、身体が引き締まり、育児でのひどい肩こりや腰痛、深刻だった不眠からも解放される。そして、驚くほど活力が溢れた身体に生まれ変わっ ていた。

まさに、奇跡の体験だった。身体を動かすことで、こんなにも人としての在り方が変わるんだ。生きることは活力に溢れ、毎日自然に笑顔がうまれ、自分らしく いられることなんだと実感し、ただ驚くばかりだった。これまでの、頑張って何かをすることとは、全く異なる感覚だった。
こんなに素晴らしいメソッドを、多くの人と共有したい。その想いだけで、ピラティスインストラクターへの転身を決意する。

ピラティスの旅のはじまり

だが、現実は簡単ではなかった。生まれたばかりの乳児をかかえ、不在続きの夫、共働きの実家。その上、そもそもピラティスを学ぶ環境が近くにはなく、金銭的な問題も大きくのしかかる。

どうにもならない環境に思えた時、ある想いがこみ上げてきた。

こんな状況だからこそ、もしも、これらの課題を乗り越えてピラティスをこの地に持ってくる事ができたなら。多くの人の役立てるのではないだろうか。遠くに行かなくても、自分の街で最高のピラティスができたら、どんなに素敵だろう。

何もない今だからこそ、最高のピラティスをこの地域に普及させよう。そう決心し、育児と金銭的工面、習得を両立し、あらゆる課題に立ち向かいながら、24時間態勢でのピラティスの学びの旅がはじまった。

ピラティスマジック

ピラティスを熱心に学ぶ中、どうすればより多くの人の役に立つ事ができるようになるのだろうか。そう考え続けた結果、いつしか複数団体の資格を持つようになっていた。

そして、周囲では素敵なピラティスマジックが起こりはじめた。
まず、ママ友が元気になり笑顔が増えはじめた。子どもが幼稚園に入ると小さな公民館で教室をスタート。身体が楽になった、ピラティスをやると元気がでる、 という人達が増えはじめた。それが口コミで広まり、小さな教室は週に2回満席になっていった。

さらに、育児をしながらピラティスを学ぶ事に苦労した経験をもとに、子連れクラスをスタート。すると、キャンセル待ちが出る程の申込が殺到することに。たくさんのママが、自分自身が元気でいることで楽しい育児生活ができるんだと気づきはじめたのだ。

そんな中、学びはますます加速。わずかな時間を見つけては遠方へ学びに走り、最高のピラティスをさらに追い続けた。

ピラティスの真髄

ジョセフ・ピラティスある時、ジョセフ・ピラティス氏が書いた英文の本を、辞書を引きながら読みはじめた。苦手な英語で時間がかかりながらも、寝る間を惜しみ時間を忘れる程の感銘を受けたのだった。

ピラティスとは。今までも素晴らしいと思っていたピラティスは、実は、もっともっと素晴らしかった。ピラティス は、単なるエクササイズではない。人々の健康と戦争のない平和な世の中、ライフスタイル全て、そして心も体も。人生について大きな視点で捉えられていて、 そして、それを生涯コミットメントし取り組み続けたジョセフ・ピラティス氏の想いに、衝撃が走る。

どうしたら、こんな真髄が学べるんだろうか。また、模索する日々がはじまった。

沼津から世界へ

Pat Guyton氏それ以来、「ピラティスを学ぶこと」から、「どこで、誰から、ピラティスを学ぶか」ということに、想いがシフトして行く。

本当に良いものを伝えたい。ピラティス氏の真髄に近づきたい。

2010年.初来日したPat Guyton氏のワークショップを受けた時、探し続けたものがここにあったと、何日も眠れない程の衝撃を受けた。

ピラティス氏の4人の直弟子から学び、世界のピラティス界を牽引しているPat Guyton氏からは、ジョセフ・ピラティス氏はどう取組んでいたのか。直弟子達はどう伝えていたのか。教科書のどこにもない、生きた言葉が詰まってい た。そして、どうすることが人の体にとって最も良いのかについて、サイエンスで明確に取組む姿が脳裏に焼き付く。
ここで学びたいと思い詰め、直談判をスタート。長い調整の結果2011年よりPat Guyton氏の本拠地であるコロラド州ボルダーにてトレーニングを開始し、今でも続いている。

スタジオ設立と受賞

またこの頃、地元のピラティス専門スタジオが立て続けに2店舗とも閉店した。地方都市ではピラティス専門スタジオは成り立たないと定説が流れ、日本でのピラティス第二ブームも終盤を迎え有名スタジオの運営すら厳しいとの声があがっていた時期でもある。

そんな中、2010年9月PILATES BODY Studio オープンを決意。ピラティスの本当の素晴らしさは、まだまだ日本国内にも伝わっていない。それを伝えることができたなら、小さな街でも成り立つのではない かと確固たる信念を持ち、地方都市では当時珍しかったマシンも揃ったスタジオを設立。有名トレーナーを招致して、地方都市では珍しくピラティスの指導者を 育成するなど、都内と変わらない環境を実現した。当時子どもは3歳。小さな子を連れましての物件探しや各種打合せに奔走し、深夜までスタジオ準備に取組ん だ。

育児をしながらの深い学びや、地方都市にピラティスの文化を根付かせ発展させたことなどが評価され、フィットネス業界誌NEXTにて、インストラクター・オブ・ザ・イヤー最優秀賞を受賞。地方都市から、かつ女性として初の最優秀賞だった。

ニューヨーク 最先端かつ伝統

ニューヨークピ ラティス発祥の地は、ニューヨーク。やはり、ニューヨークのピラティス事情は外せない。そして、ニューヨークには、今でもジョセフ・ピラティス氏が生活 し、実際に指導していた場所も、新しいオーナーにてスタジオと運営されている。また2000年以降爆発的に広まったピラティスは、NYでもスタジオが生ま れては消えて行くという現状も続いている。

切瑳琢磨されるNY環境の中、卓越しているスタジオでの専門的なトレーニングにも継続的に取組み、スタジオ視察等を重ね、日本とニューヨークの文化の違い について観察し、どうすれば日本人にとっても、最も良い方法でピラティスを提供できるかについて想いを深める。それを、自社スタジオにて展開。
また、ニューヨークPilates on FifthにてSikSuspensionにも出会い、日本ではじめてSilkSuspensionプログラムを導入。これまれのトレーニングの常識を覆 す、「楽しさ」に溢れた取り組みを実現した。

選択

ピラティスについて勢力的に活動を続ける中、世界的にも有名なピラティス団体のマスタートレーナーになるチャンスが巡って来た。インストラクターとしては、願い続けた大チャンスだった。

だが、「本当に人の役にたてる最高のものは何か」「身体に矛盾のないサイエンス」「ピラティスメソッドについての、真の歴史と哲学」。これらを日本で普及させるためには、まだその先を学ばなくては行けないことも感じていた。

素晴らしいチャンスに感謝すると同時に、自分は何をしたいのか。考え抜いた結果、最高に良いと思えることを伝えら れる環境を作ることを選択。マスタートレーナーへの機会を辞退し、エルダーの元でのトレーニングを決意した。また、いつか最高のものを皆に提供できる場を 設けようと、想いを実現するために「日本ピラティスアカデミー」を設立。コンセプトは、ピラティスをはじめ続けるために、最も大切なことが学べるアカデ ミー。これまで多くの困難を越え、国内外に足を運んで得た全てを、ここに注いで行こうと決心した。

エルダーの元へ 第二世代ピラティスティーチャー

エルダージョセフ・ピラティス氏の直弟子は約8名いたと言われており、エルダーと呼ばれている。しかしどのエルダーも高齢であり、現在では2名になってしまった。このままでは、ピラティスを「生」で知っている人達から学ぶ事ができなくなってしまう。今しかないと思い詰め、
2014年より、ジョセフ・ピラティス氏の直弟子という立場だけではなく、世界で2名だけピラティス氏から資格認定も受けた、ロリータ・サンミゲル氏の元 でのトレーニングがスタートした。世界各国から国を代表するピラティストレーナーが集結し、4カ国のメンバーとともに最も歴史の深いピラティスについて学 びを続け、2015年8月には「第二世代ピラティスティーチャー」及び「ロリータ・サン・ミゲル ピラティスマスター」として認定され、さらに国内初のLolita’s Legacy Educatorとなった。

女性として

あらゆる手段で取組む中、常にあるのは母・妻としての女性の立場。ピラティスをスタートし、はじめて子どもを実家 以外に預けた日。言葉も十分に話す事ができない幼子が、泣きながら「お母さん頑張って」と手を振る姿を見た瞬間。何があっても最高の学びを続けて行こうと 心に誓う瞬間が、何度も繰り返された。義母の24時間態勢での看病が続いた時。仕事も中止し病院に泊まり込んでの看病の中、ようやく回復傾向を見せた時。 渡米中に二度と会えない存在になったと知り、NYの街中で、ただ呆然と立ち尽くした。女性が仕事をするということ、チャレンジをすると言うことは、多くの 葛藤や胸の痛みも受け止めた上で、その中でも夢や希望を持ち歩むことなんだと知った。

これから

2014年9月。移転及び完全リニューアルオープンを実施。ピラティスの歴史、真髄など、まだまだ日本には伝わり切れていない大切なことに取組めるスタジオを目指して設立。
ジョセフ・ピラティス氏の存在を感じる空間、かつピラティス用具が活き活きと存在し、世界一と言われるトラピーズ・テーブルも導入。また、ニューヨーク発の人気プログラムSilkSuspension™サテライトスタジオとしての設備も備え付けた。

スタジオ名に挙げている「PILATES BODY」には、ジョセフ・ピラティス氏が提言していた「ココロとカラダの状態が整い、家族や仲間など大切な人と人生を楽しみ、幸せなライフスタイルを体現している在り方」と言う意味を込めている。

ピラティスをライフスタイルに。スタジオは好きな時間に通える環境を作り、そしてピラティスを深めたい指導者や愛好家は、ここでしか学べないことを提供して行く。それらは生きた情報であり、最も大切な真髄・哲学と、最新の科学に基づいた身体に役立つ事の融合である。

ピラティスの真髄を後世へ

世界中でピラティス団体が加速度的に増えた昨今。「そもそもピラティスとは何であるか」という疑問が多く聞かれるようになった。今こそ、「私たちが取組んでいるピラティスとはいったい何か」について理解するために、ピラティスの真髄や哲学を知る時であろう。

ロリータ・サン・ミゲェルがピラティスからの直接の教えと彼女自身のプロフェショナルな60年にも及ぶ取り組み、そして最新の科学を融合させた「Lolita’s Legacy」を、日本に初導入した。2016年には、日本人としてはじめてのLolita’s Legacy Educatorとして、世界でも最も由緒あるピラティス指導者養成コースをスタート。

第二世代ピラティスティーチャーとなった今、ジョセフ・ピラティス及びクララ・ピラティスが残してくれた’ギフト’伝え続けるために、生涯ピラティスの旅は続いて行く。