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まもる木田ちゃんです

 

わたしは亡くなった登山家の栗城さんのファンでした

 

生前、彼の講演会に行きました

小さい身体でおんなじ歳で

話口調はそんな強いわけではなく

人当たりの良い優しい人。

 

だけど

その秘めたる想いは強く、

こだわりは強く、

 

たった一人の若者が多くの人を巻き込んだ

強い人でした。

 

弱くて強くて、

自分に甘えなかった人でした

 

先ほどテレビでドキュメントをやっていました。

 

彼は単独無酸素でのエベレスト登頂をめざしていました

 

カメラで写すときも自分独りだから

セットして、写してまた取りに行って・・と無駄な

動きが多く、余分に力多く使う

 

そんな過酷な状況を別に誰に言われるでもなく

自分で作り

 

自分の中のルールとして

単独で無酸素なんて普通でも難しいことに

こだわりをもって取り組み続けた・・

 

 

SNSでライブ配信などをすると

山に登ることができない人も

一緒に取り組んでいる気持ちになる

うまくいくことも、うまくいかないリアルも

 

 

実際にそれを一緒に見続けていることで

ただの結果じゃなく、途中経過を知ることで

 

第三者も心が入る

 

ただ、SNSで広がるということはアンチも

必ず生まれる

 

 

たいていアンチが生まれて、アンチが出す発言は

妬み

 

いや

やっかみ

 

自分はやってもいないのに

たたく

 

自分もこんなに頑張っているということを認めてほしい

多分そんなことなんでしょう・・

 

 

でも

それは仕方ないよね。。。

努力できる。。。追い込めるというのも才能

だと思うんです。

 

そうゆう役割ってあるんだと思います。

 

自分がやりたくて、全力を注げるもの

これって人それぞれ違う

 

みんながみんなおんなじもので勝負なんてできない

 

だってできることできない、あるから。

ヒトには特性があり、向き不向きもある

 

使命がある。

 

 

だからこそ、何かを作るとき

何かに取り組むとき

 

自分だけが隠れて頑張るのではなく、

それをゼロの状態から開示し、

そこまでの過程をしっかり伝え、

 

うまくいくこと、行かないことをちゃんと伝え

想いと熱意と実際を発信し続ける・・・・

 

かっこつけたい人は

うまくいかない自分を人には見せたくない

失敗した自分を見せたくない

 

 

だけど、そのすべてを・・・実際のリアルを

伝えることで、そこに応援してくれる人が生まれる

 

もちろんアンチもね。

 

応援してくれる人は、一緒にその取り組みができるわけじゃない

 

その人には、その人の役割がある

 

 

みんなが自分とおんなじなんてありえないから・・・・

 

自分にできることがあの人にできるなんて限らない

その逆もない・・・

だけど誰かが頑張ってる

 

誰かが泣いてる

誰かが失敗してる

でもまた挑戦してる

 

自分にはできないことを自分じゃない誰かが

取組んでいる

 

そんなことを見ると

心が揺さぶられ、

 

あ、自分もまだまだやれる!頑張れる!

と感じられる

 

誰かが必死になって何かに取り組むことを

外から

見ている人は

 

それにパワーをもらい

もらったパワ―で自分の役割をしっかりやる

 

そしてそんな応援の人、見てくれている人が増えると

発信する等の本人もまた頑張れる

 

みんなが自分の役割を理解し

 

自分にできることは何かを知る

 

 

栗城さんはエベレスト途中で重度の凍傷に遭い

指を9本失いました

 

だけど

再起をかけ

努力してまたエベレストに挑戦した

 

靴ひもを一人で結ぶというところからスタートして

エベレスト登頂までもっていった

 

だけど

こだわりが強すぎたがために

 

・・・

 

・・

 

命を落とした

 

『山を見て登るのではなく、自分をみて登れ』

と。

自分を知る

 

今の自分をしり知ってもらう

私もインフルエンサーでありたい・・

 

彼からは死してもなお、学ぶことがたくさん・・

合掌・・・。