2021年をスタートするために書いておきたいこと③

10月8日(木)
急変の知らせは来なかった。
連絡は私の携帯に入る。
今思えば
iPhoneをこんなに携帯し続けたことはなかった。笑
コロナ禍で、面会禁止とされる中
ご配慮くださり
家族だけの面会を許していただけた。
感謝。本当に感謝。
この日も父の手足は動いていた。
結構な力で。
意識的に動けているんですか?と質問してみる。
いいえ、もう意識とは別です。との答え。
悲しい。
動きたかった時には
弱い力でしか動かせなかった身体が
無意識で力強く動く。
矛盾。
人間の身体って…。

耳も遠くてほぼ聞こえていなかったから
補聴器もつけていたけれど…
なんだか、声は聞こえているように感じる。
担当の看護師さん曰く、
声や音は聞こえていると思うんです。
確かに。
私も家族もそう感じた日。

10月9日(金)
この日も連絡はなく、
父は生きています。
頑張ってくれている✊
その間に、何回も行われた家族会議。
兄が
父の残している沢山のものを
見つけてくれた。
なんと父の中学生からの日記や写真!
(スキャンしてパソコンにデータで保存)
これには家族でビックリ!!
自分年表。
趣味のCDやDVD。
ポエム集、にイラスト。笑

こんなことを考えて、
こんな思いで
生きていたんだと
読んでわかる。
母が自分の悪口が書いていないかと気にしている。笑

家族で、父のことを沢山話す毎日。

面会は短時間でなら毎日OKをいただき
本当に嬉しい。
この日は「おじいちゃーん、おきてー」
の娘の声もずっと聞かせる。笑

10月10日(土)
この日も家族で夕方面会へ。
母が父に沢山話をする。
兄が、父が好きだった花火の録画音を聴かせる。
私が触る。笑
3日目にして初めて父が声を出した。
なんだか、
乗り越えてしまうのではないか?
と思う。

面会から帰宅後、
母がお風呂から出てTVを観ている。
兄も部屋でひと休み。
皆んながちょっとほっとした時間だった。

21:00ころ
私の電話が鳴った。
急変の知らせ。
家族で病院へ。

21:50
父が息を引き取りました。

家族で過ごした3日間。
この現実を
なんとか受け入れるための時間を
父がつくってくれたのだと思います。
そして、みんなの気持ちが
少しずつ変わってきた時に、
「そろそろ行くよ」と。
これも父らしい。

「ありがとう!いっぱいありがとう!」
と伝えました。

もっと伝えたかった。
もっと話したかった。
もっと前から触れていればよかった。
父がそれを求めていたかは
わからないけれど。

毎日一緒にいたのに。

耳が聞こえないから面倒だろう。
娘に気を使われるのも好きでないだろう。
それは、私の勝手な予想。
本当の父の気持ちはわかっていなかった。

言葉を交わしていないから。

コロナにはかかりたくない。
家族に世話になりたくない。
葬式とかしなくていい。
とは言っていたけど。

もっと色々話せば良かった。

日記をあらためて開くと一行目に
「人のものを勝手に読むものではない!」
と書いてある。
父らしい。笑
ん?
父らしいってなんだろう。
私が感じていた父親像?

ここ何年かの父は
以前と明らかに違ってきていた。
だから、今までとは心の中も
違ったのかもしれないのに。

近年の日記は
身体が自由に動かなくなっていくことへの
不安が沢山書いてあった。

もっと聞けば良かった。

この身体との戦いだ!なんて
書いてある日もあって…
辛かった。

楽しく生きるための運動を伝えている私。
失格だぁ。

してはいけない後悔の気持ちばかり
浮かんでくる。

父の荷物の中から
途絶えていた交換ノートが見つかった。

“2019年12月17日
最後の行に
「今年は残りわずかだ。
どんな最期になるのだろう。
静かに送って欲しい。」”
とあった。

コロナ禍で父の思い通り静かに
青空の元、父を送ることができました。

交換ノートはその後間が空いていて
忘れてしまっていた様子。

でも、
2020年に1回だけ書いてくれていた。

“2020年10月6日
毎日持って歩いていたけれど、通い袋の底になっていた。
やや忘れかけていた。
このノートが始まって丁度1年過ぎた。
目、足、手、記憶(頭)がすっかり弱る。
土手まで歩くのが危険になってきた。
道路で転倒したり、車内で転倒したり、
はずかしい思いもするようになり、相談したら
有難いことに良い杖が見つかった。ありがたい。
これから少し、足の運動にも力を入れたい。
唾液腺マッサージ、口の体操にも力を入れてみたい。
今年いっぱいはどんな年になるだろう。”

父に杖をプレゼントしたあの日。
風呂上がりに書いてくれていた。
ありがとう、、、。
この1ページの文章にどれだけ救われたことか…。

父は久々に意欲がアップしたところだったんだ。

父の運命が決まっていたのだとしたら…
あの日に
杖が間に合って良かったと、
感じられるようになった。
これも勝手にですが。。。

言葉や、文章が
人の心を動かす力になること。
父の日記から改めて学びました。

私は
2020年10月1日に
このブログをスタートしました。
そして
日記の話を初めに書きました。
母が日記を書くようにとくれたノートの話です。

父が亡くなった後、
子どもたちに日記を書くようにと言ったのは
父だったことがわかりました。
そして、父に日記を書くように言ったのは
父の父(祖父)だったらしいのです。
受け継がれた習慣。
残念ながら
私は娘に伝えられていなかった。笑涙

でも、
ここでこの事実に直面したからには
伝えるしかない!

言葉で、文章で
伝えることをしなさい!
と、

グズグズしていると
間に合わないぞ!
と、

父が教えてくれました。

だから、
自分の伝えたいことを
言葉で、文章で、行動で
伝えていきたいと思います。

それなのに…

いつの頃からか、
伝えたいことを
素直に伝えられなくなっていることにも
気付きました。

でも、
諦めずに続けたら
伝わる言葉で文章が書けるようになるはずです。

「からだコトバ」の学びに
つながったことも。
偶然ではなく
必然なのだと
思うのです。
ありがとうございます!!

自分らしく、素直に、伝えてまいります!!

ここまで
読んでくださった皆さま
ありがとうございます!!

2021.1.2
佐藤由美子

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