販売店とメーカー
あなたの頼れる御用聞き 北浦一郎です。
公教育、命の大切さ、環境、女性活躍
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皆様のご意見も
是非、お寄せいただければ幸いです。
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3月27日(土)の
ダイヤモンドオンラインの記事です。
「コロナ禍であっても
膝上丈のスカートをはく
生徒が目立ち、
体温調節や衛生面からみて
問題がある制服でなくとも
いいのではという声もあがる。
昨今は理不尽な校則が
注目されているが、
暑さ、寒さ対策としても制服の有無は
真っ先に見直されてもいいはず。
そんな制服を
やめられない理由や問題点を
教育社会学者の内田良氏に聞いた。」
私自身の中高生時代には
制服に対する問題意識は
残念ながら記憶にありません。多分、何の問題意識も
持っていなかったと
想います。しかし、衛生面から考えると、
毎日同じズボンをはいているのは
今、考ええると、
気持ちが悪いです。
「制服が貧富の差を隠すとか、
貧困家庭に優しい
というのは幻想です。
そもそも学生服は新規で購入すれば
5万~6万円はかかり、
しかも3年間しか着られないという
コスパの悪さ。
私服であれば卒業後も着られます。
また、実際に
私服通学の高校の先生によると、
オシャレにしてくるのは
最初だけで、
徐々にジャージーやスウェットなど
家着のような
地味でラフな格好になると
言います。
もちろん追加的に
私服を購入せざるを得なくなる
こともあるとは思いますが、
制服のように
ゼロから買うのではないし、
持続性にも優れますから、
トータルすると
経済的負担は少ない」
私自身が、中高生に戻って
私服だったら何を着るか。私自身は服装には無頓着なので、
今の勤務と同じで白の下着に、白のワイシャツ、
2~3本の黒や紺のスラックス、冬場は青やグレーのセーターで
一度、購入したら、
数年は繰り返しでしょうか。
「さらに内田氏によると
学校の制服に関しては
『タブー中のタブー』
があるという。
それが学生服メーカー、
地域の販売店との関係である。
『制服改革の最大の障壁は、
貧富の格差や
トランスジェンダーの問題、
伝統などではなく
メーカーと販売店なのです。
一大産業ですし、地域のお店は
制服の販売で成り立っている
ようなところもあります。
実際に制服の廃止に
全国的に取り組もうとしたときに、
根強い利権が絡んでいる
彼らがどれほどの抵抗をするかは
未知数です』」
私もこれが、気になります。
最近の校則、制服に関する記事で、
私は、今回、初めてこのご指摘を
見ました。私は、どの記事にも指摘が無いのが
気になっていました。今後の制服問題に
販売店とメーカーの記事が
でるのを見守ります。
「『現代社会は
“自由”という土台があって、
それを規制するには
相当な理由が必要です。
しかし、今の学校は
“規制”という土台で形成され、
我々はいかに自由にするかの
理由づけが求められています。
そもそも校則や制服は
自由であるべきなのです。
押し付けられるルール
に従うのではなく、
その都度子どもたちに
どう行動するか考えることを
委ねるべきです』
厳しいルールを課すことは
一定レベルの
画一的な人材を教育するには
有効かもしれない。
しかし、多様性が叫ばれ、
イノベーションを
起こせる人材が
必要とされる現代において、
画一的な人材を作りやすい
制度は必要なのだろうか。」
この表現が素晴らしいです。
“自由”という土台と
“規制”という土台
まさに、その通りだと想いました。多様性が叫ばれ、
「イノベーションを
起こせる人材が
必要とされる現代において、画一的な人材を作りやすい
制度は必要なのだろうか。」これにも、同じ想いです。
公教育を変える時期が来ています。
「『一挙手一投足について
上から指示を与え、
模倣させる教育は
もう時代遅れ。
場面に応じて
自分で柔軟に考えられる
子どもに
社会全体で
育てていくべきなのです。
せめて、子どもにもう少し
選ぶ機会と考える機会が
あっても良いと思います。
コロナによって私服が許され、
マスクがカラフルになっても
学校は荒れていません。
これまで学校が恐れていた
子どもの“乱れ”とは、
ただの“多様性”だった
のではないでしょうか』
コロナという外敵によって
いくらか緩和された
日本の校則。
今後、安易に
元通りにならないことを願いたい。」
これにも、同じ想いです。
メディアの皆様と
保護者・市民の皆様で
公教育に変化を流れを
創って行きたいです。
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