お母さん。
今日は、大好きな母のことを。
最後の最後まで
「ありがとう、ありがとう」を連発する礼儀正しい人でした。
自分のことより子どもたちのことを最優先する人でした。
私たちに心配かけないようにする人でした。
我慢強い人でした。
我慢し過ぎていつも体調を崩して、体調がよくなると子どもみたいにわがままを言うようになって…
私が小さい頃から何度も入退院しこのようなことの繰り返しで、いつも元気に回復して私たちのもとに戻って来てくれていました。
今回もそうだと思っていました。
人と話すのが大好きな人で、病室に人が来るたびに元気になっていったから今回も持ち直したと思っていました。
油断していました。
こんなんだったら
もっともっと一緒にいて話せばよかった。
もっともっと一緒にいろんなことをすればよかった。
もっともっと大切にすればよかった。
もう後悔しかない。
そんな中、生前の母を知る人たちのことばに救われてます。
ありがたいです。
私の知らない母の話なども聞けて、生きているころよりもより身近に母を感じることができています。
小さくて細くてハグしたくてもできなくて…それが一番の後悔です。
なんでハグできなかったんだろう。
せめてもの救いは、
辛い思いすることなく眠るように亡くなったことです。
私が産まれた時からいつ死んでもおかしくないくらい弱々しい母でした。そんな母を恥ずかしいと思っていた自分のことが今ではとても恥ずかしいです。
大好きな祖母が74歳で永眠したので、74歳まで生きるのが母の目標でした。
75歳まで頑張ってくれた母を尊敬します。
弱そうに見えてしっかり自分の意思を通す母を尊敬します。
親か子しか助からないと言われても命懸けで私のことを産んでくれた母を尊敬します。
いつもまわりのことを考えてくれていた母を尊敬します。
子どもみたいにかわいかった母を尊敬します。
でも、我慢は良くない。
母は我慢し過ぎました。
そんな生き方しかできなかった母ですけど、やっぱり大好きです。
誰も悪くない。
そう思いたい。
母が危篤になり永眠するまで、家族4人で長い時間を過ごせて幸せでした。
仕事のサポートはもちろん、メンタルにおいても支えてくれたまわりの皆さまに感謝しています。
母は最後に
「純ちゃん、幸せだよ」と言ってくれました。決して呼び捨てにはしなかった母。怒る時も「純ちゃん」でした。
またいつでも「純ちゃん」って呼ばれそうです。
これからは、父を、大好きな母にずっとずっと尽くしてくれた父をしっかり支えていきたいです。