自分以外の人の「決断」をすること。

 

先日母のワクチン接種の予約をしました。

取れた予約日は7月後半なのですが
その後体制が整ってきたようで
市は予約の繰り上げをするようしきりに呼びかけているので
今取れている予約より早く接種することになるかもしれません。

母はインターネットを使えないし
どこでいつ接種しているのかの情報も調べられないので
私が予約を行いました。
もちろん接種することに対して
本人の意思は確認をした上でのことです。

母が高齢になり、母の諸々の手続きを
私がすることは今では当然のこと。

大体の手続きは電話やインターネットで
あっという間に完了してしまうので手間ではありません。

でもふと思ったのですよね。

必ず行うと決まっていることや
母の意思が確認できる内容のこと以外のこと、
例えば母がさらに年齢を重ねた後、施設に預けるのかとか
例えば母に何かあった時に延命措置をどうするのかとか。

そういったことを「決断」することも
しなくてはならない日が来るのだろう、と。

それは事務的に手続きを行うのとは
全く別の種類の問題ですよね。

家族とはいえ自分以外の人間の
人生の大事な「決断」をするのですからね。

延命措置に関するテレビを見ている時に
「私はしなくていいから。」とは何度か聞きましたが
いざその場になった時、その言葉だけで
決断できるものではないですよね。

普段そんな話をなかなかできないけれど
でもどこかで必ずしておかないといけないですね。

ワクチン接種の予約をしながら
そんなことを考えたのでした。


これからのことを話そうか。

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