一般化のワナ

あなたの頼れる御用聞き 北浦一郎です。

公教育、命の大切さ、環境、女性活躍
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3月4日(木)の中日新聞のEYESに掲載された
苫野先生の投稿です。

「教育は、いつも
 かんかんがくがくの
 論争の場だ。

 それゆえに、
 お互いの信念
 主義主張をぶつけ合うだけの、
 非建設的なものにもなりやすい。

 昨今話題のテーマは、
 理不尽な校則をめぐるものや、

 急速に進展している
 教育のICT(情報通信技術)化を
 めぐるものなど。

 いずれも、
 信念の対立
 生みやすいテーマだ。

 私は哲学徒として、
 そんな教育論議の際の
 建設的な対話の仕方を、

 多くの方と共有することに
 努めてきた。

 今回は、そのうちの
 二つの考え方をご紹介したい。」

政治の世界はどうでしょうか。

哲学とはかけ離れたところに
ある様に想いますが、

議会での質疑応答には
建設的な対話になっていないことが
数多くある様に想っています。

「一つは、
 『一般化のワナ』に
 陥らないということ。

 私たちはつい、
 自分の経験
 他のすべての人にも
 当てはまるかのように

 過度に一般化して語ってしまう
 傾向がある。

 『自分は理不尽な校則に耐えたから、
  忍耐力を身につけること
  ができた。

  だからすべての子どもは、
  理不尽に耐える経験を
  すべきだ』といった具合だ。」

これは、よくあることだと
私も想っています。

特に苦労されて、
ある地位に上った方に、
見られる気がします。

そして、その方々は
決して持論を曲げない
信念を持っておられます。

「もう一つは
 『信念をぶつけ合うのではなく、
  その奥底の欲望を尋ね合う』こと。

 強固な信念は異なる信念を持つ人との
 相互理解を妨げてしまう傾向がある。

 そんな時は信念の奥底で
 互いが一体何を欲しているのかを
 尋ね合ってみる。

 信念をぶつけ合うと
 対立してしまいやすいが、

 欲望(気持ち)を尋ね合うと
 不思議と相手を理解しよう
 という気になるものだ。」

これは、今の、私には
理解できていません。

「信念の奥底で互いが
 一体何を欲しているのか」
残念ですが、理解できません。

「その上で、
 どちらの信念が正しいか
 ではなく、

 どちらの欲望も満たせる、
 よりよい第3のアイデア
 考え合う。

 シンプルながら、
 意識しているとしていないとでは、
 議論の質が大きく違ってくる
 のではないかと思う。」

これが、今、求められていること
だと、私は想いました。

よりよい第3のアイデア

我が、各務原市の市議会で
必要なことだと
私は想っています。

そのために、
私は立ち上がっています。

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