「戦争はいやだ」を変えない頑固さ

あなたの頼れる御用聞き 北浦一郎です。

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昨日、8月15日(月)、終戦の日の
中日新聞「中日春秋」です。

近代以降、どこの国でも戦争を始める際、
時の責任者が必ずと言っていいほど
使う言葉を学びました。

「われわれは、
 戦争を望んでいるわけではない」

この言葉が、
人間が持っている本心であると
信じたいと想いました。

地球上から戦争がなくなる日が
きっと来るはずです。

 

「(平和を願う)帝国の
 あらゆる努力にも拘(かかわ)らず、
 遂(つい)に決裂の已(や)むなき
 至つたのであります」

「帝国は飽(あ)く迄(まで)、
 平和的妥結の努力
 続けましたが…」。

 なるほど、
 『戦争を望んでいる
  わけではない』
 のニュアンスが読める。」

1948年12月8日の
東条英機首相の開戦表明の演説
の一部ですが、

ここにも
「戦争は望んでいない」
「平和的妥結の努力を
 続けたが」

といった、
ご指摘の内容が
のべられています。

多くの市民は
平和を望んでいることは
前提にされていると
理解しています。

「七十七回目の終戦の日を迎えた。
 ロシアのウクライナ侵攻や
 米中の対立を挙げるまでもなく、
 国際情勢は緊張に向かう

 戦争は遠い過去のものとは
 言い切れぬ時代にあって
 二度と戦争にかかわらぬために
 必要な呪文はやはり

 「戦争はいやだ」だろう。

 その「いやだ」を最後まで
 「しかたない」「むこうが悪い」に
 変えない頑固さだろう。」

ご指摘の通りだと
私も想っています。

「戦争はいやだ」といっても
相手が攻めてきたら
どうするんだ、とか

「自分や家族の命は
 守らないのか」という
声が聞こえてきます。

「戦争がいやだから」
何をするのかが
問われていると
想っています。

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