対馬丸の遺品を回収する
あなたの頼れる御用聞き 北浦一郎です。
公教育、命の大切さ、環境、女性活躍
について、
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皆様のご意見も
是非、お寄せいただければ幸いです。
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8月23日(土)の中日新聞の記事です。

太平洋戦争後期の1944年8月、
沖縄県を出航した疎開船「対馬丸」が
鹿児島県沖で米軍に撃沈され、
学童ら1500人近くが犠牲になった事件は
22日で81年を迎えた。
那覇市では慰霊祭が開かれ、
生存者と遺族らは
「戦争の悲惨さを語り継ぐ」と誓った。
汗ばむ暑さの中、犠牲者を悼んで黙祷し、
手を合わせて平和を祈った、
とする記事です。
「対馬丸事件
太平洋戦争での1944年7月の
サイパン陥落を受け、
政府は米軍の侵攻が見込まれる
沖縄県などからの
学童らの集団疎開を決めた。
翌8月の22日夜、
前日に那覇を出港し
長崎県へ向かっていた
疎開船「対馬丸」が、
鹿児島県・トカラ列島の
悪石島沖で
米海軍潜水艦ポーフィン号の
魚雷攻撃を受け沈没した。
国民学校(現在の小学校)の学童や
一般疎開者、船員らが乗っていた。
旧日本軍は生存者らに
かん令を敷き、
事件を秘匿した。」
「犠牲になられた方々の
無念を忘れず、戦争の悲惨さと
命の大切さを
語り継いでいく」「あんな怖い戦争は
二度とあってはならない。いつも平和な、
戦争のない国
であってほしい」今日もウクライナやガザでは
戦争で命が失われています。さらに日本は、他国に届く
ミサイルを準備し、他国の国民の命を奪うことに
私たちの税金を使おうと
準備を進めています。戦争の悲惨さを
語り継ぎましょう。
「政府は
生存者や遺族の要望
を踏まえ、2025年度内に
海中の船体を撮影したり、
遺品を収集したりする
調査の実施を目指している。
1997年の海底捜索では
船体を確認したが、
技術的な理由で
引き上げを断念した。」
「乗っていた子どもたちは
どこに眠っているのだろうか。
しっかり調査してもらいたい」
同じ想いです。暗い海の底での81年間。
多くの事実を明らかにする
努力をお願い致します。戦争の悲惨さを
新たに伝える事実に
期待します。
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