インパクトに惑わされない

 

動物と暮らしていると避けられないこと
可愛い我が子とのお別れ😢

アニマルコミュニケーションを受けてみようと思うきっかけの一つに
亡くなった我が子とお話がしたいというのがあると思います。

愛しい我が子が
年を重ね
病気になり
亡くなっていく

その過程で飼い主さんはたいてい
もうそれ以上の事はないというくらい
出来うる全てのことをしていると思うのです。

それでも多くの方が、
「もっと出来ることがあったんじゃないか」
「もっと良い選択があったんじゃないか」
「苦しい思いをさせてしまったんじゃないか」
の想いに苛まれます。

その想い、痛いほど理解できます。

私が子供の頃に飼っていた犬は17歳まで長生きしてくれ大往生でした。
それでも治療について、そして最期の決断について
もっと良い選択があったのではないかと
いまだに思ったりするのです。

今はまだ若くて元気なアテナも
将来年を重ね、病気になったら…
その時はすべての手を尽くすつもりだけど
それでも絶対に「もっと…」の想いは持ってしまうと思います。

どうしたって
どんなにベストだと思うことを尽くしたって
愛する我が子がいなくなってしまったら
その喪失感と「もっと…」の後悔に襲われると思います。

旅立つ動物たちにとっては
それまで使っていた肉体から離れるのですから
多少なりとも痛みや苦しみ、違和感はあるのだろうし
不安もあるかもしれません。

最期に苦しそうな姿を見るのは
飼い主にとって、とても辛いですよね。

そしてこの辛い思い、苦しい思いって
インパクトが強いんですよね💦
そればっかり考えてしまうし
長く引きずってしまう。

私もアテナがいなくなったら
絶対にアテナロスに苦しむと思います。

でもそんな時に思い出したい事があります。
例え最後は苦しく悲しい時間だったとしても
それまで一緒に過ごした日々には
その数倍、数十倍、数百倍の
楽しく幸せな時間があった事を。

日常にそんなにインパクトのある事は起きない。

朝起きて
お散歩行って
朝ごはん食べて
お昼寝して
夕方お散歩行って
夜ごはん食べて
食後の歯磨きガム食べて
ブラッシングと歯磨きして
寝る

でもそんな毎日の中、なんてことないこと
例えば
私が見えなくなると必死に探す姿に胸キュンとしたり
トコトコと歩いてきてピタッと背中をくっつけられると
愛しさが募るし
アテナのふとした行動に大笑いしたり

日々、もう溢れるほど
喜び、癒し、笑い、愛を
与えてくれます。

フォーカスするのはこっちの感情
いつまでも忘れたくないのはこっちの思い出

一緒にいたから別れはとてつもなく辛いものになる。
でも一緒にいなかったら決して経験できなかった事
持たなかった感情
を日々与えてくれているのですよね。

インパクトはなくても日々の
愛おしくかけがえのない時間を
何より大切にしていきたいし
何があっても決して忘れない!と誓います。


いっぱい笑わせてあげる!
はい、よろしく☺️

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