“みな同じ”を“みな違う”に
あなたの頼れる御用聞き 北浦一郎です。
公教育、命の大切さ、環境、女性活躍
について、
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をお届けしています。
皆様のご意見も
是非、お寄せいただければ幸いです。
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「小学校3年生の算数、
『わり算』を初めて学ぶ
単元でのこと。
――こんなことがありました。
その子は、算数の問題が・・・、
『とても苦手』な子でした。
でも、算数の時間は、『大好き』な
子になりました。
なぜか?
算数の時間が、
思い思いに問題を解ける
時間だったからです。」
ここで例示されている授業は
私が経験してきた授業とは
まったく違います。今後は、この様な授業へ
変化していくことに
私は賛成です。
「日本で欧米のキャッチアップを
目標とする近代化が始まった
明治時代をスタートに、
およそ150年間続いてきた
今の学校教育制度。
それは、大胆に要約すれば、
価値観も考え方もバラバラな個人を
『みな同じ』にしようとする
ものでした。
だから、『先生に指示されたとおり、
みなが同じ内容を、
みなが同じペースで、
みなが同じ方法で』学ぶ。
『教員一人当たりの児童生徒数』など
当時の状況からすれば
『合理的』でもあった
この『教員主体』で
『一斉・一律』の授業は、
例えば戦後の『高度経済成長』の
支えとなってきました。」
私も、この点を強く皆様に
お伝えしたいと想っています。「一斉・一律」の授業は
「高度経済成長」には
最適の授業であったかも
しれません。しかし、現在、高度経済成長は
違う局面へと変わりました。
だから、授業も変わる必要がある、
と私も想っています。
「だからこそ、学びの在り方を、
前提から、根本から
変えることが必要なのです。
これまでの取組と
対比的に言うなら、
『同じも違いも混ざり認め合い、
委ねて支えて共に探究する』
在り方へと。
『みな同じ』を
『みな違う』に逆転し、
『個別・多様』で
『学習者主体』を前提とする
学びに。
それこそが、学校における
『本当の意味』での
働き方改革にもつながります。」
この想いにも、私は賛成です。
では、すべての科目の授業を
どう具体的に変えていくのか。ここから先は、私には、まだ、
想像できていません。「教育は変えられる」を
読んでみたいと想っています。
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