「無言」の強制
あなたの頼れる御用聞き 北浦一郎です。
公教育、命の大切さ、環境、女性活躍
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6月24日(木)んお中日新聞「EYES」に
掲載された苫野先生の投稿です。
学校での「無言給食」や「無言清掃」
私には考えられません。
「黙って精神を統一し、
自分と向き合う時間をつくる、
という意義がしばしば主張
されている」
意味は理解できますが、
給食や掃除の時間に行う必要性が
私には理解できません。
苫野先生ご指摘の
「分刻みで子どもたちを
動かさなければならない
学校側の都合」だと
私は想っています。
子どもたちに必要な
コミュニケーション能力の育成に
力を入れて頂きたいです。
「確かに学校では、一見、
豊かなコミュニケーションが
なされているように見える。
『黙って、座って、
先生の話を聞く』
だけの授業は、
特に小学校では
ほとんどなくなった
(とてもいいことだ)。」
「黙って、座って、
先生の話を聞く」
私たちの学生時代は
この通りでした。苫野先生は
「ほとんどなくなった」と
述べられていますが、全国的には、
どうなのでしょうか。下校の見守り隊の時に
子どもたちに聞いてみたいと
想いました。
「学校は、
一方的に無言を強いるのではなく、
子どもたち自身が、
学校生活を
どんなふうに過ごしたいか、
考え合う機会を
ぜひつくってほしい。
コロナが落ち着いた後は
どんな掃除や給食の時間にしたい?
そんなことを、
今から子どもたちと
話し合ってみてはどうだろう。」
私も同じ想いです。
子どもたちに対しては
多くの強制があると
想っています。現在、指摘されている
ブラック校則も
その一例です。学校と子どもたちが
対等な立場で話し合う場を
学校は設けて頂きたいと
想っています。
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