『それは嫌だ』と言える力
あなたの頼れる御用聞き 北浦一郎です。
公教育、命の大切さ、環境、女性活躍
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是非、お寄せいただければ幸いです。
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9月2日(木)の中日新聞「EYES」への
苫野先生の投稿です。
「学校は本来、
子どもたちがさまざまなことに
思い切りチャレンジし、
また安心して失敗できる場
である必要がある。
月並みだが、
人は失敗から学ぶ。
これは本来、
教育の基本中の基本
であるはずだ。」
「人は失敗から学ぶ」
自分が失敗して学んだことは
決して忘れません。
人の失敗から
学ぶことも多くありますが、
忘れないのは
自分の失敗です。
忘れたくても、忘れられない。
公教育を見直す時期です。
挑戦を恐れない
若者が育つように。
「ありとあらゆるリスクを
前もって排除し、
トラブルのない
温室で育てることは、
子どもが自ら成長する力を
奪ってしまうことになりかねない。
これは、学校の問題である以上に、
むしろわれわれ
『世間』の問題だと思う。
私たちはいつしか、
教育の基本中の基本が
『失敗から学ぶ』
ことであることを
忘れてしまった。
トラブルに
過剰に反応する親
が増えれば、
学校がそれらリスクを
必要以上に排除しようと思うのも、
ある意味仕方のないことだ。」
「温室で育てること」は
私たち大人が、
学校に要求してしまっている。トラブルに
過剰に反応する保護者を
作らないためには先生と保護者が
もっと対話をして
理解し合うことが
必要だと想っています。この話し合う時間を創ることが
現在の課題ではないでしょうか。
「私たちは、子どもたちに、
嫌なあだ名をつけられたら
『それは嫌だ』と言える力こそ
育むべきなのではないか。
嫌だと言われた側も、
そんな経験を通して、
『こんなふうに人を傷つけては
ならないのだな』
ということを
身をもって学ぶべき
なのではないか。」
「そんなあだ名は嫌だ」
と言える力を
どうやって育むのか。嫌なあだ名をつけた子どもが
「嫌だ」と言われて
「人を傷つけてしまった」
と理解できる力を育む。現在の学びにおける
課題だと想いました。
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