気づき、そして変わる
あなたの頼れる御用聞き 北浦一郎です。
公教育、命の大切さ、環境、女性活躍
について、
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をお届けしています。
皆様のご意見も
是非、お寄せいただければ幸いです。
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3月8日(火)の中日新聞の社説です。
今から30年前の
1992年の判決を学びました。
セクハラという言葉が
1992年に生まれたことも
学びました。
この裁判の判決は
自分の心の奥に合った性差別に
気付いた裁判長の判決であった
ことを学びました。
この社説のタイトルの
「気づき、そして変わる」を
多くの皆さんにお伝えし
私自身も、いろんなことに
「気づき、変わる」を
実践したいと想っています。
「職場の女性を
『花』と呼びながら、
上司に逆らう花は
摘み取る。
そんな風潮の中で起こされた
日本初のセクハラ裁判で
一九九二年四月、
性的に中傷され、
退職させられたのは
女性ゆえの性差別だった
と明言する画期的な判決が
言い渡されました。
しかしセクハラ被害は
今も絶えません。
男性社会に放たれた
三十年前の判決は今、
何を語りかけるのでしょうか。」
私は1986年入社です。
男女雇用機会均等法が
1985年に制定され
1986年に施行されています。この歴史は私にははっきりとした
記憶がありますが、この1992年の裁判、判決、
そして「セクハラ」の
流行語大賞は記憶にありません。そしてこの判決から30年、
日本の男社会には
残念ながら明らかな変化は
ありません。気づいても変わろうとしない
日本の指導者が残念です。
「裁判長を務めた川本隆さんは
尋問を聞き『おや』と思うことが
あったと言います。
編集長は晴野さんが
仕事先と酒を飲むことも
非難しましたが、
男には『付き合い』を認め、
女はだめというのは
差別じゃないか、と。
そうした女性観は
川本さん自身にもあった
ことに気付きます。
当初は、
一般的な不法行為
だと思って
裁判に臨んでいたからです。
しかし、
性差別を問うことこそ
裁判の本質でした。
判決は、
管理職の大半を占める
男性の女性観に
思いを巡らせた
川本さんの
『気づき』の反映
でもあったのです。」
この様な経緯で出された
判決だったことを
学びました。一般的な不法行為ではなく
女性としての尊厳や
性的平等につながる人格権
にかかわるものと考える事。そして、記事にある
性差別やハラスメント行為自体を
禁じる法が我が日本にはないこと。これが、日本社会に
男女平等が育たない
原因ではないかと
想いました。
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