責任を取るということ
あなたの頼れる御用聞き 北浦一郎です。
公教育、命の大切さ、環境、女性活躍
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是非、お寄せいただければ幸いです。
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3月10日(木)の中日新聞「EYES」に
掲載された苫野先生の寄稿です。
11年前の3月11日
東日本大震災での
「大川小学校の悲劇」を
再確認しました。
「余震が続く中、
避難をさせることで、
けがをする児童がいたら
責任が取れるのか
などの思考が、
現場に働いてしまった。」
残念なことです。
日本では、この言葉を
聞くことが
多すぎるのではないでしょうか。
指導者の能力なのか
指導者になるとそうなるのか
私には理解できません。
「全ての責任は私にある」と
言いながら、
責任を取らない指導者も
よく見る我が日本。
「責任を取れる」人に
指導者になって頂きたいと
想っています。
私自身にも、問いかけています。
「3・11での
『大川小学校の悲劇』を
分析した研究書がある。
当時学校にいた89人のうち、
津波を生き延びたのは
児童4人、教員1人の
計5人という、
戦後学校教育史上最悪
となってしまった
悲劇である。
津波到達まで
50分の時間があり、
校庭から走って1分ほどの
裏山があったにもかかわらず、
なぜそこに
避難しなかったのかなど、
多くの謎が残されている。」
この研究書を読みます。
私が人の命を預かる立場に
なっている時に
何が必要なのかを
学びます。何が避難行動を妨げる
要因になり得るのかを
再確認します。
「こうした悲劇を
繰り返さないために、
学校関係者が
常に備えておくべきこと。
それは何よりもまず、
学校では『命を守る』ことを
最上位の目的と
しなければならない
という意識である。
校長以下、全教員が、
日頃からこのことを
繰り返し
合意し意識している
必要があるのだ。」
全教員が
日ごろから繰り返し
合意し意識する。このために必要なことは
何かを考えさせられました。私が勤務していた企業では
安全・防災には
日常から一定時間の
訓練と会議がありました。現状の教員の働き方の中で
この時間が取れているのか
確認したいと想っています。
コメント ( 2 )
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なぞときではないですが、一度大川小学校 現場を見に行かれることを希望します。 私は行きました。 よろしくお願いします。
コメント、ありがとうございます。仲野さんは行かれたのですね。時間を作って、行ってみたいと想っています。
ありがとうございました。