自分がその誰かになりたい
あなたの頼れる御用聞き 北浦一郎です。
公教育、命の大切さ、環境、女性活躍
について、
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をお届けしています。
皆様のご意見も
是非、お寄せいただければ幸いです。
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5月4日(水)に読売テレビの
「かんさい情報ネットten」で
放送された特集番組です。
「ウクライナ支援が
新たな段階へ、
しかし過去には“悲劇も”
機能しない国連の中で
日本がなすべきことは?」
1990年の湾岸戦争への支援が
きっかけで作られたPKO協力法。
この法律で、
自衛隊が海外に派遣されることが
可能になりました。
それから30年が過ぎました。
この間、安倍政権下では
あいまいな派遣もありました。
私は自衛隊の
平和維持活動への参加は
反対という考えです。
そして国連の役割と権威について
大きな課題であるとの
想いを強くしました。
「国連ボランティアに
参加していた
中田厚仁さんという
当時25歳、
大学卒業したばかりの
青年ですけれども
実は大阪の出身で
国連ボランティアとして
カンボジアで
活動している最中に
武装集団に襲われて
命をなくしてしまうという
日本の多くの
国際支援の原点とも言える
大きな悲劇ということで
命を守りきれなかった日本が
この三十年の間、
彼が残した意思をですね
引き継ごうということで
このウクライナの戦争が
起きている今、
メッセージを
さらに伝えていこう
という動きがあります。」
私は阪口さんに出会い、
中田厚仁さんの話を
聞くまでは、1993年の武装集団に襲われて
亡くなった事実を
忘れていました。国連の平和維持活動
として活動していても
悲劇は起こる。人の命を救うためには
自分の命が魏勢になる
場合もある。これを想う時、
平和維持活動に
取り組むことの
重さを考えさせられました。。
「中田さんの言葉の中で
一番の自分の生き方に
影響を与えたと思うのは
『世の中に
誰かがやらなければ
いけないことが
あるとすれば
自分がその
誰かになりたい』
という言葉ですね。
困難だったり
危険があるときに
どうしても人間っていうのは
そこで後ずさりしてしまう
そういう習性を持ってる
と思うんですけれども
中田さんだったら
どうするかなと
いう風に考えることも
たくさんありました。
我々の行動が
そういう中田さんの言葉を
しっかり反映させるもの
でありたい
と言う
そんな気持ちでいます。」
誰かが
やらなければならないことが
誰もやらないのが現実には、多いと
想っています。では、なぜ、
誰もやらないのか。私は、
誰もやらないことで
私ができる可能性があれば
やってみます。残念ですが
その可能性を判断するのは
私自身です。
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