非日常の中で『日常』を守る
あなたの頼れる御用聞き 北浦一郎です。
公教育、命の大切さ、環境、女性活躍
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是非、お寄せいただければ幸いです。
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12月30日(金)のハフポストに
掲載された記事です。
ウクライナは厳しい冬を迎えている。
侵攻2日後から、
UNHCRの緊急支援チームの一員として
人道危機への対応を担う青山愛さん。
彼女の生活を綴った文章から
浮かび上がるのは
懸命に生きるウクライナの人々の姿だ
とする記事です。
ウクライナの市民の生活を学びました。
この青山愛さんの報告は、
メディアで取り上げられたのでしょか。
私が学んだ「戦争」から、
青山さんが報告するウクライナ市民の生活は
想像ができませんでした。
日本がウクライナの状況になった時、
私はどう行動するだろうか、
考えてみます。
「戦時下でもキーウの街には
エネルギーが溢れている。
もちろん、警報や攻撃の間は
細心の注意を払いながらも、
そうではない時間は、
みんなレストランに行ったり、買い物したり、
子どもたちは公園で雪遊びをしている。
サッカーワールドカップだって盛り上がって、
日本の快進撃に、たくさんの人たちに
おめでとうと声をかけられた。
そんな気合とたくましさを
ウクライナの市民のみなさんからは感じる。
非日常の中での
『日常』を守ることは、
精一杯の戦争に対する抵抗なのだ。
そして生き続けていくための
防御反応でもあると思う。」
攻撃が自分の身に
襲い掛かる可能性がある中で
生活することが考えられません。「非日常の中での
『日常』を守ることは、
精一杯の戦争に対する抵抗なのだ」
心にとどめておきます。
「私は元アナウンサーだけれど、
ウクライナでの日々は、
言葉にできない瞬間ばかりだ。
本当にうまく表すことができない。
支援している避難所で会った
高齢のご夫婦。
危険が迫り、ぎりぎりまで粘ったけれど、
ウクライナ東部から
避難を余儀なくされた。
来年、結婚50周年を迎えるそうで、その時には
どんなに街が破壊されていたとしても、
家がぼろぼろでも、
故郷に戻りたいと話していた。
おじいちゃんは、私たちが届けた
青のセーターを着ていた。
帰り際、ありがとうと、
ぎゅっと手を握られた。
感謝されたことよりも、
どんなに残酷な経験をして
多くのものを失っても、
人への思いやりを忘れない
ご夫婦の温かさと、強く握ってくれた
手の感触に、胸がいっぱいだった。」
素晴らしいウクライナの高齢のご夫婦。
自分たちの悲惨さを愚痴ることより
人への思いやりを忘れない。戦争のない平和な日本社会に
欠けていることが
戦時下のウクライナにはありました。「敵基地攻撃能力」のために
「軍拡増税」を強いる
岸田首相に学んでいただきたいと
想いました。
「ウクライナの戦争について、
日本ではまだどのくらい
報道されているだろうか。
人々の関心は移り、動いていく
ものだというのは、
メディアで働いていたから、よく知っている。
それは自然なことだとも思う。
でも、現場からひとつ
伝えたいことがある。
それは、日本のみなさんの想いは、
ちゃんとウクライナで
形になっているということ。
支援の現場に行って、私が日本人だと知ると、
『チュドーヴィ!』『素晴らしい!』と
ポジティブな言葉のシャワーばかり。
そして、『どうして、こんなに遠く離れている
ウクライナにいる私たちを
支援してくれるのか』、
感謝を伝えて欲しいと言われる。
『平和を願う気持ちで繋がっている
から』、と答える。
そんなとき、私は国際公務員だけれど、
日本人であることをとても嬉しく思う。」
人々の関心は移り、動いていくものだ
というのは、私も同じ想いですが、
ウクライナの報道は、毎日、
継続されています。その報道は、戦争の報道で
この青山さんの記事の様に
ウクライナやソ連の市民の人権、
生活に関する報道ではありません。私は、この記事で
現代の戦争の実態を
多くの皆様に知って頂きたいと
想いました。
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