「梅田恭詞物語」カテゴリーアーカイブ

梅田恭詞物語⑥

第6話「探しつづけたもの」

店を辞め、インストラクターを目指し始めた私は
食べていく為の職を探すことにしました

ところが、その当時で34歳
なかなか雇ってくれるところもありません
しかも、自分の中で条件が多かった

ジムへ通ったり、養成コースへ行くことを視野に入れたら
残業は無し、土日休み
そして、店の借金もまだありましたから、まずまずの給料

そんな条件の良い正社員はあるわけありません
しかも中途採用なんて・・・

そんな時、国の就業支援の仕事が豊橋図書館であり、
派遣会社を通して、何とか採用が決まり働き始めました

図書館の仕事と言っても、表に出ることはほとんどなく
裏方で蔵書に盗難防止のタグをつけるのが主な仕事でした

その他にも簡単な本の修理やラベル貼り、棚の整理など
司書的な仕事もして楽しかったです

支援事業は半年が任期
それが終わる頃、エアロビクスインストラクター養成コースが始まりました

この養成コースを選ぶのにも、実は苦労したんです
インストラクターになる人のパターンとして、
自分がクラスを受講していて、その人に教えてもらう・・・と言うのがあります

私もそんなにこの業界に詳しいわけではなかったので、
いつも出ている先生で誰かいないかなー?と探していました

ところが、どの方も「もう養成コースはやりません」ということで
困りはててるところに
市内に新しいクラブができるという情報を知りました
それが、ホリデイ豊橋店です!!(私のホームグランド)

そこで、いつも参加していた林恵美先生に
「ホリデイって名古屋とかから有名な先生来ますか?」
と聞いたところ、我が師匠”水野博美先生”を紹介してもらったんです

でも、実際受けてみないことには自分に合うかどうかもわかりません
意を決して、岡崎まで水野先生のエアロビクスを受けに行きました

ロイヤルスポーツプラザというクラブです
私も新人の頃からずっとお世話になってます

今よりも少し小さめのスタジオに、
入りきらないほどの参加者がいーっぱいいました
ギュウギュウ詰めの中、みなさん楽しそうに、
エキサイティングに踊ってましたね~

一回受けて、「あーこの人だ!」と思い、
水野先生の養成コースに入る決意をしました
しかし・・・ここでもまた障害、養成コースは毎週水曜だというのです
新しい派遣先に入ったばかりで、職を失うわけにもいかず
養成を始めるのを2年待ちました

その間にホリデイ豊橋店ができ、もちろん入会
クラブライフを楽しみながら、時々昼間の水野先生を受講してました

そして、ホリデイ養成コースとしては初めて土曜開催が決定
いよいよ私のインストラクターへのチャレンジが始まりました!!

つづく~


梅田恭詞物語⑤

第5話「人生最悪の時」

私生活ではクラブライフに明け暮れ、体重も落ち、
全てが「さあ、これから!」という頃のことです。

その頃の私の職業は、ブログ内では何度か触れていますが自営で喫茶店をしてました。
行ったこともないのに、イタリアのカフェにあこがれてエスプレッソやカフェラテなどを出す店でした。
時代としてはまだスタバも銀座と新宿にしかない頃で、エスプレッソマシンもすごく高価なもの。
日本製はもちろんありません。
イタリア製のオートマチックで誰でも美味しく入れられるものだと、200万~300万。
もちろんそんな高価なもの買えませんから、ちょっと技のいる・・・それでも50万するマシンを購入。
理想のイタリアンカフェを目指していたんです。
店の名前はイタリア・イギリス合作映画からとって「ラッキー・カフェ」
映画の内容は家族愛の心温まるとってもいい映画です。


これが外観
こんなんでも、結構お金かけてます!

みなさんご承知の通り豊橋は喫茶店の激戦区。
やっぱり普通の喫茶店のようにモーニングやランチをやらなければならず、
少人数でがんばっていました。

オープン当初は母と二人、時々姉が手伝いに来てくれて営業していました。
ところが一年経たない頃、母が病気になり一時は一人でやっていたことも・・・
姉も自分の仕事の合間に随分助けてくれました。

それから少し経って友人が仕事を辞めることになり、
店を手伝ってもらうことになりました。
家族経営から友人との共同経営に転換です。
その年の夏、ようやく運気が舞い込んできたかのような客入りとなりました。
目標の売り上げもはるかに超え、順風満帆かに思えたのですが。。。

共同経営の友人はとても仲が良く、気心知れた存在でしたが仕事となると別です。
次第に店の運営方法で衝突するようになり、そんな雰囲気はお客さんにも伝わり、
客足もどんどん遠のいていきました。

決定的だったのが「9・11」の惨劇です。
あの後、三か月ほど車関係の企業は業績を落ち込ませ、
従業員の財布の紐をも固くさせました。
その余波が、うちの店にも来たのです。

そして、その年の年末に店をたたむことを決めました。
明日支払うお金がない。
運営方針では信頼していた友人とぶつかるばかり。
家族にも散々迷惑をかけて・・・
店を辞めることを決めた時は、肩の荷が下りた気持ちでした。

店を辞めるにあたっていろいろ整理する中、
「ホントの気持ち」というものを知りました。
開店資金で作った借金を家族や共同経営の友人が一緒に返してくれました。
自分が長く働いた会社の退職金を長い間貸してくれた友人もいます。
労働力や心の支えとして近くに居てくれた人もいます。
言い方は悪いかもしれませんが、あの時に大切な人を見分けることができたと思います。
『金の切れ目が縁の切れ目』
お金のない人間によくしてくれるなんて、よほどの思いがなければできません。

だからこそ、今はちょっとしたことがとてもありがたい。
日々感謝の毎日です。
そして、あの時助けてくれた人たちのことは一生忘れません。
足を向けて寝られない・・・というのはホントにあるんです。
今こうしてインストラクターとして一人前にやっていられるのも、
たくさんの人達に助けられてのことです。

店の整理が終わるころ、たくさんの人達の気持ちが私にパワーをくれました。
さあ、ここから人生をもう一回がんばろう!!
そう思った時、一度はあきらめたインストラクターに挑戦することを決めました。

つづく~


梅田恭詞物語④

第4話「一日が二日分」

スポーツクラブで初めてできた友人は10歳近く年下の青年
同じプログラムでよく顔を合わせていたので、ロッカーが隣になった時に
「今日のエアロはキツかった」・・・とか、そんなことを
初めて話したように覚えてます

レッスン後にジム内をまわってみなさんとお話すると、
時々「ジム友だよ」なんてこともお聞きします
同じ趣味、同じ目的のもの同志は話も弾みますから・・・

ある日、その友人とレッスン後にスタジオ前で話していると
インストラクターの方が片づけ終わって出てきました
坂井真紀風のホンワカした優しい感じのイントラさん
友人は随分親しそうに話して、私のことも紹介してくれました
どうやら、前からずっとそのイントラさんのプログラムに参加してたようでした
そこへ三人の女性が・・・
いつもいろんなプログラムに参加していて、必ず右手の最前列に三人横並び
かなりの存在感でしたのですぐに「その人達だ!」と気付きました
すると、そのイントラさんが三人を私たちに紹介
初対面の2対3の男と女
年齢も様々(私が最年長・・・グスン)
そんな五人が何故か意気投合
閉館まで盛り上がってしまい、急いでシャワー浴びて帰ったのを覚えています

エアロビクスを始めてまだ一年未満の五人でしたから、
毎日のプログラムが楽しくて楽しくてしょうがなかったんでしょうね~
大学のサークルとか部活のノリだったかもしれません
私は大学には行ってないので、疑似体験できたようでうれしかったです

みなさん、プログラム参加って一日何本くらいですか?
時間のこともあるので、だいたい1本か2本ですよね
五人はですねー
自分だけが取り残されるのを恐れ、もう1本?もう1本?
・・・と18時半の1本目から22時過ぎの4本目までぜーんぶ出てました
しかもそれが毎日
土曜も日曜も、そしてその頃は休館日がありませんでしたから
1か月28日は行ってたと思います
そしてー、それだけではありません
私たちは「クチエアロ」と名付けていましたが、
帰りにファミレス行ったり駐車場で話したりと・・・
仕事以外の大半をスポーツクラブとそのアフターで過ごしてました
「一日が二日あるようで、得した気分でした!」

とはいえ、やはり寝不足になりがちでしたねー
みなさんはそんな無謀なことやめてくださいね
でも来館時間が長いということは、トレーニングの時間もたっぷりある
ということなので、エアロビクス以外に筋トレしたり柔軟したりしてました
結局、一番体重のある時から10キロ以上落としたので、
はっきり言って皮はたるんたるん
その時期でしっかり絞ることができました

スッキリ痩せて、クラブライフも楽しい・・・
でも、人生そんな甘いものではないと思い知らされる時期が来るのです

つづく~


梅田恭詞物語③

第三話「スタイリッシュ生活・スポーツクラブライフ」

初めて入ったエアロビクスのクラスで大変な目にあった私は、
友人に「もう少しやさしいクラスは無いか?」と聞いてみました
すると月曜19:30~のクラスを紹介されました
初チャレンジのクラスが金曜19:30~だったので、
一週間のトレーニングとしては最適な間隔でした

今考えると両クラスとも「中級・中上級クラス」
よくそんなもの続けたと思います
後にもう一つ下のクラスも参加するようになるのですが、
初心者ゆえの無謀さですね
でも、知らないのですから・・・当たり前です

某Kクラブとだけ言っておきましょう
月曜のクラスのイントラは、美人でスタイルもよく
さすが男性陣がたくさん参加してました
でも、見かけと違って意外にサバサバしていて
参加するようになってからは、トレーニング方法を教わったり
レッスン中もかなりハードに盛り上げてもらいました
月曜って週のはじまりなので、「さあ、やるぞ!」というところでは
ピッタリのイントラだったと思います

そんな週2日のエアロビクスを1本ずつ
3か月間続けて・・・なんと!7㎏減量
(どっかの宣伝文句みたいですが。。。)
そんな簡単に落ちるなんて、いかに運動していなかったか
今冷静に分析すると、もともと筋量は多い方だったので
動きさえすれば代謝が高かったのだと思います

さあ、その減量後の私をご覧あれ
何を間違えたか、ちょいロングヘアーのチリチリ
葉加瀬太郎か?麻原彰晃か?
その写真がこれだ~1,2,3

実はこの半年前、母が入院して床屋に行けず
伸びっ放しだった髪を「キムタク風にしてください」と
行きつけの美容室の担当にお願い
「では、髪型だけ・・・(汗)」と言われたかは覚えてませんが
しばらくロン毛だったんです
それで、痩せたのを機に切ろうと思ったのですが、
せっかくなら遊びましょとパーマをかけたのです
そしたら、こんなんなってしまいました(泣)

三か月もエアロビクスをやっていると
そろそろいろんなクラスに参加してみたくなるわけです
そこで、もう一度友人にお勧めクラスを聞いてみました
すると、今度は土曜の19:30~のクラスを紹介されました
このクラスは前のクラスの一つ下にあたり、
ローインパクトと言って飛んだり跳ねたりしないクラスでした
イントラは浜松から来ている可愛らしい感じの方で、
ひょうきんなとっても楽しい人でした
この方がいつも通勤途中の景色やその日にあったことなどを
準備運動を始まる前に話してくれるのが、とても好きでした
エアロビクスとは直接関係ないのですが、
その人の人柄がうかがえるようで良かったです
私がいつもいろんなことを話すのは、これが原点なんです

その後、水曜・木曜とトレーニング日数を増やし
もう三カ月後には週5日通うようになってました
私の体育の成績は小学校では「もう少し」中学は「3」
ひどい時は「2」になりそうなときも・・・
そんな私が週に5日もスポーツクラブに通うなんて
夢のような話です
しかも、一人前にエアロビクスをやったり、
バーベルを持ち上げマシンを使って筋トレするなんて
まだあまりスポーツクラブに通う人も少ない時代でしたので、
ちょっと都会的な生活に心地よさも覚えていました

後にインストラクターを目指したとき、この頃のことを思い出し
運動音痴でも自信をもってクラブに通っていいんだ・・・と思ってもらえるような
そんな健康ナビができるインストラクターになりたいと思いました
* ちなみに運動音痴というものは存在しません
   どれだけその運動を繰り返したかでデキが違ってくるのです
   ただ、それだけです
   それが証拠にみなさん、エアロビクス・アクアビクス・ボクシングなどなど
   初めより格段上手にできませんか?
   子供の場合も同じです
   子供は吸収力が早いです
   まわりにお子さんがいる方は、どんなにどんくさくても鈍くても
   決して、けなしてはいけませんよ
   その子が繰り返しやっていたら応援してあげてください
   「そんなにがんばってるんだから、絶対できるようになるから」と
   世界のイチローも努力の人です!!

半年が過ぎたころ、クラブで初めて友人ができました
人間も30を過ぎるとそう簡単には友人などできません
同じ場所で、同じ運動をする
言葉も交わさず、ただ同じ空間で同じ作業(運動)をする
人間ってつくづく動物なんだなー
気心がしれてくるんですね~不思議と

そこからの半年はさらなるクラブライフが待っていました
もっとディープにクラブライフにはまっていくのです。。。

~つづく


梅田恭詞物語②

みなさん、例の画像は見ていただけましたか?
残念ながら予告通り、7月で削除させていただきました
でも、まだまだあります秘蔵写真
今後はどんなのが出てくるか・・・お楽しみあれ!

第二話「グレープヴァインが迫ってくる」

友人に誘われて初めてエアロビクスに参加したのは1999年4月の終わり
エアロビクスのイメージは”ハイレグ・レオタードの女性が「ワンツーワンツー」”
なんてのを想像して嫌がってた私に、友人が
「いまどきそんな人はいないよ。男の人もたくさんいるし、Tシャツ短パンだから」
となだめ連れってってくれたクラスがなんと無謀なことに、
競技エアロをやっているイントラの中級クラスだったのです
今考えれば、友人も友人です
「大丈夫、大丈夫。誰でも出来るから・・・」
この「誰でもできるから」に騙されてはいけません

そもそもエアロビクスが、他のプログラムに比べ
段階分けされているのには理由があるのです
難度(難しさ)・強度(運動のキツさ)を少しずづ上げていくことが
安全で、効果的であり、何よりも本人が楽しめるからなのです
この理論からすると、私はまず ”初心者・初級クラス” に参加すべきでした
もちろん、クラブやインストラクターによっては中級とうたっていても
初心者が十分楽しめるクラスも存在します
運動能力に初めから長けている人もいます

ここで、これを読んでいるみなさんにお願いがあります
みなさんは運動にもう十分慣れたかも知れません
ご自分がプログラムに初めて参加された頃のことを、
忘れてしまった方も多いでしょう
しかし、初めてプログラムに参加するということは、
とても勇気のいることです
そして誰もが、「上手にできたらいいな~」
「失敗したら恥ずかしいな~」と思っていることでしょう
その気持ちを安心へと導いてくれるのが ”初心者・初級クラス” なのです
お友達や周りの方がクラス選びに迷っていたら、
安易に中級・上級クラスを勧めないでください
その一回でくじけて、エアロビクスが嫌いにならないように・・・

では、私がくじけそうになった話の続きをしましょう

無謀にも入ってしまった中級クラスは前半なんとかOK
しかし、中盤にその時はやってきたのです 
スタジオ全体の左隅後列辺りにいた私に全員が
「グレープヴァインで迫ってきたのです」
私は弾き飛ばされ、窓にぶつからないようにある柵に激突
波が引いたかのように反対側に流れていったみんなに
安心し、油断した私に第二波がバッサーン
その後の後半も、グレープヴァインの度にあたふたしていたのを覚えています
でも唯一良かったのは、シャワーで汗を流し外に出た時に感じた
爽やかさたるや・・・運動するって気持ちいいな~と実感しました

あまりうまく動けなかった恥ずかしさと悔しさと、
でも気持ちいいと感じたエアロビクス
くじけそうな気持が少しはあったけれど、
その後に出会う数々のインストラクターのおかげで
エアロビクスが大好きになりました

まさか自分がインストラクターになるなんて、
思いもしないゴールデンウィーク前の春の夜でした~

つづく~