ボスでもなく、監督でもなくコーチでいたい理由

苫小牧市民17万人

北海道民560万人

日本国民1億3000万人の健康を守る木田ちゃんです

私は父がずっとコーチでした

直接指導していただいたのは2年でしたが、

わたしが父のもとを離れて違うコーチの指導を

仰いでいる間も、

父は自分のチームの指導者であり

 

私はずっと一番身近にいる指導者だったので

迷いが出たときは直接聞いていました

 

指導者が変わると

沢山のヒントで本人が迷ってしまわないように

 

父はそれほど私にアドバイスすることはなくなりました

 

より上位を目指すようになるとアドバイスもミリ単位だったり

感覚的な部分だったり・・

 

メンタルの部分だったり・・・。

私はしばらく自宅でも親子という関係性ではなく

 

コーチ

と選手の感覚でした。

 

だから甘えるとかできない・・

父は大尊敬する指導者です。

 

私も父みたいな指導者になりたくて、

父の小学生のチームをコーチしたりしていました。

 

スケートの指導って

バックストレートでリンク上で滑る選手に対して

 

大きな声で声掛けするんですが、

 

ほとんどの指導者が

『もっと腰低くすれ~』

『〇〇秒負けてるぞ』

『そんなんだからダメなんだ~』

 

という、悪いところを指摘するような声掛け

その中で釧路のある高校の先生だけ

 

『いいぞー!できる選手だー自分を信じろー』

『まだまだできるよ~、お前はできるやつだぞー』

 

と、ほかにはない声掛けをする先生がいました

 

私はその先生が好きでした。

その先生の学校の選手と対戦するときは

ライバルへの声掛けを自分のものとして

勝手に受け取っていました。

 

だから私はメンタルトレーナーの学びを経て

資格を取得しました。

今、自分が運動指導者として大勢のお客様に

レッスン提供するとき、

ずっと念頭に置いていることがあります。

 

・答えをダイレクトに伝えない(伝えるときもあります・・)

・ゴールを自分の方に(私がわ)にセッティングしない

・できることはスルーし、できそうでできてないところを伝える

 

コーチというのは

もともとブランドのCOACHにもあるように、

馬車という意味

馬車は大切な人をその人が望むところまで送りとどける

 

という意味

それを活用して派生したのがコーチング

人の目標達成を支援する

 

昨年はお客様だけではなく、

同じ運動指導者に対してのコーチング、ティーチングの

講義を何度か行いました。

話すためのテクニックとしても大切ですが、

それを解剖学的に落とし込むと・・・

 

身体の機能と連動させて、ヒントを伝え

答えを自ら導き出せるような声がけ

それをするために見抜く力を養う・・・。

 

その視点を持つ

それが大事・・・と。

講義をしました

 

フィットネスインストラクターは個人事業主

ジョイントレッスンやイベントでほかの誰かと

ともに指導することはあっても

 

基本、マイクは自分が発し、自分の言葉で

お客様を導きます

 

インストラクターはみな、きっと何かの想いをもって

この仕事に取り組んでいるはず

 

みんな個の強さがある

 

というか強さがないと

人に想いなんて伝わらない

 

自信がないんです‥なんて言ってしまっては

人に対して何かを提供するなんて

してはいけない

 

インストラクターがそれぞれの力や個性を活かしあって

何かを作り上げるとき、

それをまとめるときも、きっとコーチが必要

 

私はマスタートレーナーたちを導く役割をしていますが

ボスになるつもりはない

 

ボスはフィットネスインストラクターの集まりには

いらないんじゃないかなと・・

 

独りで何もできないのならボスの力が必要かも

 

そもそも一人で何もできない人は

組織に入っても何もできません

 

ボスとは自分の好きなようにできる

 

というのがボス・・らしいです。調べたら。

 

ということは

その下にいる人はボスの言うことに従うのが絶対

 

ボスがカラスが白といったら、白

ボスと周りが感じているのと

本人がボスと言ってしまうのとではまた違うけど・・

 

リーダーというのがいいです。

 

私はインストラクターも

お客様にも最良のコーチでいたい・・・

ヒトの目標達成を支援するために

その人の良さ、その人の眠っている潜在部分を見つけて

引き出すのが役割・・

 

そうでありたい・・・。

私のカバンはCOACH