ピラティスさんについて

〜未来の自分の為の体づくり〜
ピラティスを通して、
今より快適な身体を作るお手伝いをしています。
ピラティスインストラクターの
たがみひろえです。

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リフォーマーってご存じですか?
これピラティス専用のマシーンのひとつ
なんですが、他にも

ベット型のマシーン
椅子型のマシーンが
半円の形にラウンドしたもの
私の認識でこの4種類。

何故これだけのマシーンがあるのかというと
ピラティスはリハビリに特化した
エクササイズだからです。

ということで、
今日はピラティスの歴史について
書きたいと思います。

これ、ピラティスさん。

ピラティスというのは、人の名前です!
これについては以前にも書きましたね。

ジョゼフピラティス
ドイツ人
ピラティスメソッドを考案した方です。

ピラティスというメソッドを
ピラティスと呼ぶ様になったのは後年で、
ピラティスさんは、このメソッドを
〝コントロロジー〟と呼んでいました。
コントロロジーとは「身体をコントロールする学問」の意。

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1883年ドイツ生まれのピラティスさん。
幼少期くる病、喘息、リウマチ悩まされ、
それを克服するべく
体操、ボディビルディングなど
いろんな身体作りを行いました。
お父さんは体操の選手であり、
またお母さんは、自然療法士だったそうで、これらは、ピラティスさんの生涯において、
も大きな影響を与えました。

時は、第一次世界大戦の頃。
ピラティスさんは旅先のイギリスで
他のドイツ人達と共にイギリスの
捕虜になりました。
ここでピラティスさんは、
他の捕虜達に彼のフィットネスプログラムを教えます。
これにより捕虜達は、
捕虜になる前よりも強い体になったそうです。

寝たきりの人の為に
ベットにピラティス専用の器具を付けて
ピラティス専用の器具を作りました。
これが今のピラティスマシーンの原型となります。

その後ピラティスさんは、
マン島に移され、ここでも病気になった捕虜の為に看護師として働きました。
ピラティスがリハビリに強いのが
すごく腑に落ちるエピソードですよねぇ。

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ドイツに帰国したピラティスさん
ドイツ政府から、
新軍隊の訓練を依頼されます。
しかし、当時のドイツ政治を好きになれず、
アメリカへ渡ることを決めたのです。
※因みにヒトラーが首相になるのは、
この数年後です。

アメリカでボクシングジムで働いた後
自分のスタジオを持つと、
怪我を回復させる腕前をもってると
口コミで噂が広がり、
ニューヨークの上流階級の人々や
有名な映画俳優が彼の元で指導を受けました。


より熱心な生徒たちが、ここで学び
おのおのの地で、更にピラティスを広めて行きました。
内容を割愛しますが、その後医学の世界にもピラティスが取り入れられるようになります。
日本に初めてピラティスマシーンが入ってきたのは1990年ごろ。
日本人の間にピラティスという言葉が、
浸透しはじめたのは2000年以降です。

それから、22年。
私がピラティスを学びはじめた
2007年頃は、マシーンを完備しているスタジオはまだまだ少なかったですが、
今ではマイクロジムも含め
マシーンを持つスタジオがかなり増えました。

例に漏れず、私も昨年
リフォーマーというマシーンを買いましたが、低負荷でも身体の使い方を学びとれる
ピラティスはやはり素晴らしいなと
思います。

マシーンというと、
ゴツくて、体力ないとできない💦
て、イメージかもしれませんが、
そんな事ないですよ〜。
むしろ、動きのサポートをしてくれるので、
見た目ほどのハードさはありません。

その証拠にピラティスで作られる身体は
しなやかで柔らかい!
そこに強さを併せ持つ事で
私たちの身体が効率よく
機能的に使えるようになるのです。

※今回のピラティスさんの歴史を調べるに際し、日本ピラティス研究会会長であり医師でもある武田淳也氏の書籍〝Return to Life〟を参考にさせて頂きました。

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