実家に向かっています

私の父は緩和ケア病棟に入院しています。

癌の治療ももうできなくなり、痛みをできるだけとり苦しまずに過ごせるよう医療の力をかりています。

私は幼少期かなり身体が弱く、先天的な疾患もあり、家族に迷惑をかけて育ってきました。

身体的な問題で直接迷惑をかけることもあれば、「他の人」が当たり前にできることが「できないこと」で不満に思い八つ当りし、反抗的な態度をとって迷惑をかけたこともありました。

「良い子」でもなければ「育てやすい子」でもなかったです。

さすがに盗んだバイクで走り出すことはなかったですが(笑)

進学校にも関わらず髪をそめて、フラフラしていました。

我ながら迷惑をかけにかけた自覚が強く、沢山の愛情でここまで育てて貰った実感もあり、その分家族愛が強くて、「自立して親孝行を沢山する」というのが夢でした。

…と、口ではいいつつも社会人になった道筋はフラフラしていて、

ダンスに夢中になったかと思えば、エアロをやりはじめ、そうかと思えば心のケアやるぞーと国立の大学院まで行ってしまい、ようやっと安定したかと思えば「やっぱりインストラクターの道に戻ります」って言って二足のわらじ(笑)

エアロをしていた頃、色々あり、大泣きしつつクラブに向かうようなこともあり(笑)

家族ははじめは大反対のインストラクター業でした。

そんな中、父の癌が発覚し、

人生で自由に使える時間の短さを痛感し、

「もし、私が今死んでしまって、何を後悔するか」と思った時に、やはり、リトモスのOTをとりたい、ということが一番最初に頭にうかびました。

父の病気に後押しされる形で取得し、色々な経験をしてきました。

リトラーさんからの「あいつ何様」の言葉も、「下手くそ」の言葉も、他の方に言われるまでもなく全部、自分でわかっている言葉です。

でも、どんなに一部のリトラーさんや同業の先生から悪く言われても、これは、自分で決めて、自分で進んでいった道なので、後悔はしていません。

私は批判に弱く、一度めの引退は、おそらく「あいつエアロ下手くそ」のお客様の声にあったように思います。

リトモスを取得して、その何倍もの悪口にさらされてきました。

でも、今回は批判や非難されても止めません。だって、そういったこと全て見越した上で、ちゃんと考えて、それでも取得するって自分で決めたことだから。

我ながら強くなったな、と思います。

この強さに繋がる経験は、全て父が後押ししてくれたように思います。

そして、強さだけでなく、

他人を頼ることも父から教わりました。

いよいよ、緩和医療となった時に、

私は、スケジュール的に休日がないので会社の先輩、仲間に事情をうちあけ、できるだけ父のそばにいかせてほしいとお伝えしました。

迷惑をかけることになってしまうけれど、「助けて下さい」と会社にお願いをしました。

年齢的に若く、キャリア的に短い自分の無理なお願いでした。本来なら首を切られても仕方ないような要望だったと思います。

ところが、快く会社の先輩や仲間は私の要望をききいれてくださいました。

本当に、本当にありがたかったです。

これでいいのかな?と感じながらも、月に一度、代行を出して残り少ない父との時間を過ごさせて頂いていました。

ありがたいことにこんな状態の私に、チャレンジしたい種目のレッスンや、新しい施設さんでのレッスンも頂き、(レッスンを減らされて当然なのに)

遠く離れた父にできることが少ない分、レッスンでお会いする皆様の健康に少しでも寄与できたらと思ってお仕事をさせて頂いていました。

いつも、お客様お一人お一人と、その人の健康を願うご家族の顔を思い浮かべてレッスンさせて頂いていました。それはこれからも変わりません。

ここ最近は実家にかえるたび、父の容態は悪くなり(当たり前ですが)

いつかくる最後のお別れの準備をしていました。

先月、実家に帰った時に。

本当に今日が父に会える最後かもしれない、

そう思って、

私は本当に「一生懸命」レッスンしてるかな?

できるだけのことやってるかな?

こんなに助けて貰ってる会社や先輩にもっともっとお返しできないのかな?

「本当に、本当に、後悔しないように、毎日生きてるのかな?」

そういうことを考えて。

ぐるぐるぐるぐる考えて。

その時、ぱっと木田麻美先生の

「そんなに言うならチャレンジすればいいのに」

という言葉が思い浮かんだんです。

これは、私が前に記事で書いた「良いインストラクターがいない」のブログを読んで下さってのコメントです。

めっちゃ要約すると、フィットネスフリークの方が好きなコンテスト入賞されているイントラ以外のイントラも「良い」イントラいるよ、って話なのですが(笑)

そう、私は自分のことを「そーゆーコンテスト系で入賞はできないけどまぁ、別に存在を否定しないでほしいな、頑張ってるんで」って捉えていて(笑)

それは「どうせ入賞しない自分」でいいや、みたいな所があって。

魅せる動きや、綺麗なアライメント、わくわくするようなコリオ、惹き付けるキューイング。

そういった周りの先輩をみて「わーすごいなー」どまりだなって気づいたんです。

「わー、凄いなぁ、⚪️⚪️先生」って感じても、じゃ、そういった素敵な先生に近付く努力をしていたかな?

って。

してるつもりでも、本当の意味ではしていなくて、コンテスト系の案内がくる度に「エントリーすれば何か変われるかもしれない」と思っては、知らんふりをしていました。

そんな状態の自分で、「私はわたし」って思えるわけでもなく、自信がないことを開きなおるだけで何も変わろうとしてなかったなぁって思うようになって。

「こんな自分を変えたい」って思うようになったんです。

ずっとずっと、自信をつけるための努力はせずに、「自分にはできないから」って思っていました。

「私なんか」が口癖で、

他の先生よりダメな自分に甘えていました。

でも、父に会いにいくたびに、

レッスンの調整をしてむかい、

その時に楽しみにしてたのにーと残念がられることもあって、

なおかつ、休んでも「次会える」レギュラーレッスンがあることへの有り難さも痛感して、

今の環境にずっと感謝していました。

と、同時に、せっかく貴重な時間を頂いているのだから、もっともっと素敵なレッスンがしたい、

と強く感じるようになりました。

病気の父に後押しして貰って、

イントラとして本当に前に進むことができました。

レギュラーレッスンも、

他の先生から頂く代行レッスンも。

誰かの健康をまもれる仕事に誇りがもてるようになりました。

批判をしてくる、顔の見えない誰かのための努力じゃなくて、目の前の私のお客様が喜んでくれるための努力がしたいなぁ、と感じるようになりました。

そして、父の病室で、締め切りギリギリ、本当にギリギリになって申し込んだのが、

メッツ主催のコンテストです。

契約しているNBIウェアを盛り上げるつもりもあり、エントリーしました。

生きているうちに、何か、成果をだして、父に喜んでもらいたいという気持ちもありました。

「恥」をかきたくない、が一番の私が、

「恥」をかいてでも前にすすみたいと思ってコンテストにエントリーしました。

前に進みたいな、と思って。

今の自分を変えたいな、と思って。

結果として、エントリーして本当に良かったです。

練習で撮影した動画をみて「こんな動きしてたのか!」と恥ずかしさで穴をほって埋まりたくなったり(笑)

エントリーしてしまったので、(笑)

もうこりゃ、背水の陣で(笑)

憧れの先生にコリオをみてもらったり(私の性格を知っている人ならわかると思うのですが、憧れてる先生にコリオ見せるとか土に還りたくなるレベルなので絶対にしません。)

アドバイスを頂きました。(めっちゃご迷惑をおかけしました。)

エントリーしたおかげで、「ふだんの私だったら絶対にしない」努力をすることができました。

本当に、エントリーして良かったです。

憧れてる先生にアドバイスもらって。やっぱりキャリアも人気もある先生の視点は目から鱗で。この短期間で自分のレッスンのレベルも急上昇したような気がします。

全ての活動が、通常レッスンへの自信に繋がりました。

そうそう、競技エアロの師匠にもコテンパンにしてもらおうと(笑)動画を送ってコメントを頂きました。

久しぶりに師匠のコメントをもらい、思わず泣いてしまいました(笑)

コンテスト用動画の撮影後、すぐに実家に戻る予定でした。

まとめての休みはそこでしかとれなかったので。

今日、リトモスレッスン前に家族から連絡がありました。

父が危篤であると。

レッスン40分前。施設でその知らせをみて、すぐ会社に連絡をしました。

明日の代行を探してもらって。

われながら支離滅裂な文章で今の状況を伝えて。

そしたら、支離滅裂すぎるのに、先輩から優しいラインがきて。

嬉しさで泣きそうになりました。

ただ、状況をきくために電話した母が大泣きしていたため、私まで狼狽してしまい、受付スタッフさんに事情を伝えてしまい(ぱにくるとアワアワするタイプなので挙動不審1000%でした(笑))

しばらく施設さんでちょっとぶつぶつぶつぶつしゃべってる怪しいやつでした。

リトモスレッスンをして、今、新幹線にのり帰省しています。

レッスンに関しては、先輩や施設の方もご配慮下さると言って下さいましたが、

私が強く強く希望して、休講にしませんでした。

父が危篤状態で、レッスンに立てるのか?不安もありました。

私は感情がすぐに表に出やすいタイプなのでお客様の前で泣き出しやしないかもちょっと不安で。

レッスン開始直前まで心がざわついていて、館内放送の時に何てしゃべったか不安です(笑)

もし別のインストラクターの名前言ってたらすみません(笑)いや、さすがにそれはないか(笑)

私の父は何よりも仕事優先の父で。

新人は仕事開始一時間前に職場につけ!

ってポリシーの人で。

今日もそこそこ早く施設にいたおかげで、めっちゃ早くついてアワアワアワアワロビーうろうろする不審なインストラクターが出来上がっていました。

でも、レッスン前に悲しい知らせをきいて、

こんな私のレッスンでも本当に楽しみにして下さってる人がいて、

「絶対に休講にしたくない」って思いました。

リトモスをとってから、ずっと、しんどかったです。

ほめられたり、楽しいと言って貰えたり、わかりやすいと言って貰えても、

非難の声の方を気にしていました。

ずっとずっと他の先生と比べて悩んでいました。

味方の声よりも、「下手くそ」「あなたにレッスンしてほしくない」「あいつ何様」の声ばかり反芻してしまっていました。

批判の声ばかり気にして、自分のレッスンよりも他のキャリアが長いイントラさんが入った方が喜ばれるんじゃないか?

と思っていました。

私がぬけて、ベテランの先生がされた方が集客も良いはずだし、きっと喜ばれる…

そんな気持ちもありました。

自分で自分のことを「人気がないイントラだから仕方ないよ」なんてなぐさめても、施設さんへの申し訳なさと、お客様への申し訳なさをいつもどこかに感じていました。

でも、今日、いよいよ休講か?

と思った時に、「私のレッスンだから出る」と言って下さった方の顔が浮かんだり、応援して下さる方の顔が浮かんで、

絶対に休講にはしないって思えたんです。

私はわたしのレッスンが大切で、私はわたしのお客様が大切で、ぜったいに休講にしたくないと思えたんです。

いままで沢山応援して下さったり、

楽しかったと笑顔でコメント頂いたり。

そんな優しいお客様の顔がすぐに浮かびました。

今日、「私のレッスンには価値がある」って心から思えました。

レッスン終えて、皆様のキラキラした笑顔をみれて、本当に良かったです。

今、実家に向かっています。

家族からは今の父の状況を「見たら涙がとまらなくなるから心の準備を」と言われています。

後悔はしていません。

父の病気が発覚してから、

自分の心と深く向き合えました。

辛いことも、おかげで乗り越えることができました。

自分が大事にしたいものに対して、

嘘偽りなく生きれています。

話は前後しますが、

件のコンテストは棄権になると思います。

精一杯、コンテストに、インストラクターという仕事に向き合えました。

エントリーする前と後で変われた気がします。

素敵な機会を下さった、メッツの皆様、本当にありがとうございました。

お会いできる予定だった皆様、遠い鳥取から応援しています。

会社の先輩。

本当にありがとうございます。

最後の最後だけではなく、ずっと力になってもらいました。

これからもよろしくお願いいたします。

私はインストラクターの仕事が大好きです。

関わって下さった皆様のことが大好きです。

少しだけ代行を出させて頂きますが、戻り次第、笑顔でレッスンさせて頂きます。

今日会えた皆様、いつもレッスン出て下さる皆様。

これからもよろしくお願いいたします。

追伸

この日記をかきおわり、鳥取についた時に父が天国へ旅立ったことを知りました。

あの時すぐかけつけていれば、父の死目には会えたかもしれません。

でも、今日出会えた皆様とレッスンができたこと。

後悔していません。

今日、1日レッスンに出てくださり、素敵な空間を私と一緒に作ってくださったお客様。

本当に本当に、本当に、ありがとうございました。

岸本さおり