『まちがったっていいじゃないか』
公文でいうところのGⅡ教材、レベルでいうと中1後期相当の学習プリントに、
『まちがったっていいじゃないか』
が題材に使われています( ¨̮ )
4年生の女の子が学習したものを採点していて、そういえばこんな本もあったな~と改めてじっくり読んでみました(*´-`*)
この本は、中学生や高校生に必読してほしいのですが、大人にも響く言葉だらけだと思います。
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人間には、かならず、よいところもあれば、悪いところもある。
無条件に尊敬せねばならない、というのではなく、悪いところは軽蔑してあげて、そのうえで、いいところを見出していくのが、おとなに向けての、人間と人間とのつきあいである。
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もちろん、(生きる上で)誤るかもしれない。
しかし、まちがったら、やりなおせばよいだけのことだ。
あるいは、正しい方向へと、軌道修正をしていけばよい。
はじめから正しいことだけやるより、そうしてジグザグで進む方が、ずっとよい。
こうしたことは、若いときほど、修正の余地があるのだから、誤りをおそれるなんて、つまらないことだ。
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代表的なのでこんな言葉があるけれど、
他にも
人間が他人と関係を持つときに、その他人に、まったくめいわくをかけないなんて、考えられない。
だれにもめいわくをかけてない、なんて威張っている人間は、そんなことを言われるだけでも、めいわく至極だ。
むしろ大事なことは、自分が他人にめいわくをかけていることを、いくらかうしろめたく、いつでも自覚していられることである。
誰にもめいわくをかけてないと、胸を張ることではなくて、めいわくをかけた相手の心を思うことである。
やはり、おたがい、めいわくをかけあっていると思いながら生きていくほうがよい。
さまざまの人間がいて、さまざまの関係をとり結び、そのなかで、おたがいがめいわくをかけあうというのも、考えようによってはこの人間社会にとってよいことである。
なににもまして、自分だけは、裏切ってはならない。
こんな言葉もあります(*^-^*)
小学生の頃、父の転勤で転校した後に、担任だった浅野先生からは一冊の本が届きました。
『かぎりなくやさしい花々』
6年生の時に担任だった坂井先生が休み時間に読んでいた本で、みんなも読みなさいと渡された本は、
『40本のカーネーションに包まれて』
どちらも、心にすっと入り込み、じわっとあたたかいものが流れ、人生の大切な一冊となりました。
転校する時、
「あなたに出会えてよかったと心から思ってる。あなたはあなたらしくそのままのあなたでいてね。」と強く手を握られ、背中をポンポンしながらギュッと抱きしめてくれたのは元担任の玉木先生。
『先生はあなたのことが大好きよ。先生のクラスにいてくれてありがとう』と人目も気にせずこれまたギュッと強く抱きしめてくれたのは転校後の担任の先生☆
そういえばたくさんの愛を先生たちにいただいていた(*´-`*)
【先生】とは、家族とは別に、第三者の中で、愛を与えてくれる最初の大人。
肩や背中をポンポンや、頭をなでなでくらいは子どもたちもすっと受け入れてくれるけど、なかなかギューッまでは私も勇気がないので(><)
私がそうしてもらっていたように、その子に合わせて、その子に必要な本を渡すようにしています(*^^*)
4年生がどこまで『まちがったっていいじゃないか』を理解したかはわからないけれど、一冊の本が自殺をとめて命を救うこともあります。
それだけ本の力は大きい。
自分の人生を潤す究極の一冊を、子どもたちが見つけて、本から溢れる無限の愛と夢をしかと心に詰め込んでほしいなと思います。
(*Ü*)*.¸¸♪”
公文の国語教材は、愛と優しさに溢れた、心を豊かにするお話がたくさん使われています☆
昨今の活字離れが進んでいる子どもたちには、読書ができないならまずは公文の国語!と心から勧めたいです(*ˊ˘ˋ*)
mana