ばーちゃんへ
大好きなばーちゃんが亡くなりました。
母方の祖母です。85歳でした。
私の生まれは新潟県上越市の高田になります。
祖父母宅の近くで両親ともに会社勤めをしていたため、幼い頃は日中ずっと祖父母の家におりました。
祖父は私が中学生の頃に他界しましたので、20年もの間、祖母は一人寂しい思いをしてきました。
生前の祖父母は高田駅近くで【雪の宿】という居酒屋を営んでおり、昼間は祖父とあちこち遊びに出かけ、祖父の膝の上にのりテレビで西遊記を見た後、夕方祖父母とともにお店に行っていたのを覚えています。
運動神経抜群で野球人だった祖父に対して、祖母は自転車にも乗れなかったため、どこへ行くにも徒歩で移動していました。
毎日決まった時間に近所のスーパーへ行き、レジ奥に置いてある段ボール箱に買ったものを入れて持ち帰っていたのを覚えています。
なぜだかカッコイイと思っていた段ボール箱でのお持ち帰り(笑)
おっきな箱に、
これひとつしか入ってないこともしばしば(笑)
「ばーちゃんなんて呼ばれるような歳でもないし、若いつもりでいるのに、まなちゃんたら店中に響くでっかい声で『ばぁぁぁぁちゃーん!!!』って呼ぶのよ~♪もう恥ずかしくってね~!」
「レジのお姉さん方が、まぁ♡お人形さんみたいね♡っていっつも褒めてくれるのに、まなちゃんたら『うっちゃいねぇ~(うるさいね~)』って嫌そうな顔して言うんだよ~!まなちゃん、いまは美人さんだけど、昔はお人形さんみたいで本当に可愛かったからね~♪」
この話は定番で、ばーちゃんに会う度に嬉しそうな顔してニコニコしながら話してくれました。
市場へ買い物に行った時、でっかいスイカが美味しそうだね♡と買ったはいいけれど、重すぎて持ち運べず、一緒にゼェゼェいいながら汗だくで帰ったのも良き思い出です。
お店の仕込みを手伝わされるのが嫌いでした。
おしぼりの畳み方を間違えれば怒られるし、毎日毎日焼鳥のねぎまを作るのに串に刺す作業が嫌いすぎて、ねぎまは大人になるまで食べられませんでした。
じーちゃんが優しく穏やかなイメージなのに対して、ばーちゃんは厳しく小煩い印象だったので、嫌いではないけれど小さい頃はばーちゃんが苦手でした。
じーちゃんが亡くなる頃には中学生だったこともあり、何となく大人の心情も理解でき、本当の意味での大人たちの愛情や優しさ・ありがたさを知り、それと同時にばーちゃんの存在についても改めて考え気づくようになります。
孫にデレデレの甘い蜜をたっぷり与えてくれていたじーちゃんの陰に隠れていたけれど、ばーちゃんの愛と優しさもそれはそれは大きかったです。
その証拠に、自然な老いと病魔に侵される直前までは毎年必ず誕生日に電話をかけてくれました。
社会人になり、仕事だ恋だ遊びだといろんなことに夢中になっていた時、時々かかってくる「まなちゃん、次はいつ来るの?」の電話が、約束させられるようで、それがたまらなく鬱陶しい時期がありました。
心が病んでいた私は時々無視もしました。
一日にかかってくる数回目の電話にやっと出ては、仕事で忙しかったと言い訳をして…
声を聞いて話をすると、ばーちゃんの話が面白すぎて笑いが止まらずとっても楽しくて、切ったあとは幸せな気持ちになるのに。
それをわかっていても距離を置きたかったあの頃。
ばーちゃんに申し訳ないです。
大食いの早食いの大酒飲みのばーちゃんはとにかく豪快で、笑い声も豪快!何をするのにも【おしとやか】なんて言葉は1000%似合わないタイプの、元気で明るい太陽やひまわりのような人でした。
細かいことは気にしない。
自分が食べこぼしたものが服についていたら、病室の床にペッ!と捨てるような人です(笑)
じーちゃんが早くに亡くなって寂しかっただろうに、あまりそんなことも感じさせず、毎日明るく前向きにとっても楽しそうでした。
私の母とばーちゃん2人で一升瓶をあけた時は、さすがにわけわからんちんのポンコツさんになっていましたが(笑)翌朝はいつも通りに起きて、「まなちゃんおはよう!朝ごはんはどうする?」といった具合です。
何度か病気をして、生死をさまよったり、入院して手術したり、忙しい人生でしたが、常に自分ペースで思いっきり生きることを楽しんでいたのではないかと思います。
お酒は燗派でした🍶
棺で眠っているばーちゃんを見た時、『うわっ!私と似てる!』と思いました。
鏡を見てぎょっとするほど母にも似てきた私ですが、やはりばーちゃんの血もしっかり受け継ぎ…
「ばーちゃんのあの明るい性格に救われた」と話す母と、あっけらかんとした性格含めなんだかんだと確実に血を引き継いでいるよね!と笑っていたところです。
ばーちゃんや母と比べたら、私のほうが何百倍も繊細だと思います…私はそんなにガサツじゃない♡笑
薄情!非常識!と言われるかもしれませんが、お通夜には遅れ、火葬した後のお骨拾いはせずに帰ってきました。
自営業でありフリーランスの宿命かなとも思いますが、急にキャンセルできない単発のお仕事や、教室も簡単には休めません。
ばーちゃんの孫である【まなちゃん】の代わりもいないけれど、【鍬間先生】にも代わりはいません。
仕事を頑張ることを応援してくれていたばーちゃんに最後まで甘え、わがままを通しました。
その代わりと言ってはバチが当たりますが、ばーちゃんのそばで一晩眠り、ばーちゃんにお化粧もさせてもらいました。
もともと綺麗なばーちゃんですが、まなメイクでもっと美しく♪
親戚やご参列いただいた皆さまにも褒めていただき、ばーちゃんと一緒にニンマリしていました☺️
父も母も、ばーちゃんには私が一番世話になったと話します。
私もそうだろうと思います。
初孫である私は、過ごした時間も一番長く、いろんな【初めて】を祖父母に贈り、それ以上にたくさんの愛を受けとりました。
葬儀では「前に行きなさい」と、喪主である叔父と母の隣に座らせてもらいました。
お寺様のお経の間にいろんなことを思い返しては、初孫の特権と恩恵に感謝し、自分の運の強さを感じ、神様にも感謝していました。
それなのに…って自分でも思いますし、自分を肯定するわけではありませんが、骨になった姿を見ずに帰ってきて良かったと思っています。
頭では理解しているし、冷たい顔にお化粧までして肌でも感じている。
わかってはいるけれど、最後に視覚で捉えたばーちゃんの姿が、お化粧大好きで入院中もメイクすることを絶対に欠かさなかった美しいばーちゃんの姿で良かったと思っています。
これで私の中のばーちゃんは永遠に、豪快に笑う姿と美しさ100万点のビューティフル幸子(ゆきこ)だけ😘
「ばーちゃん、お空からゆめのこと見ててくれるかなぁ?」と、ゆめ。
見ててくれるよ。
それどころか、5分おきに
「ご飯食べなくて大丈夫かね?」
「疲れたらちょっと寝て起きたら?」
って訊いてくるよ。
時々『うっちゃいねー』って返すかもしれないけど、許してね♡
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ばーちゃん。
大好き。
バッチリお化粧した綺麗な顔で、じーちゃんにはもう会えましたか?
これからはじーちゃんとばーちゃんのダブルパワーで、お空から見守りエールをおくってください。
安らかに眠ってね。
じーちゃんとばーちゃんが溺愛した孫娘のまなちゃんは、これからもじーちゃんとばーちゃんのように、愛と優しさとあたたかさとぬくもりと元気と勇気とパワーをたくさんの人に届けます。
豪快に呑むことはできないけれど(笑)
ちっちゃなことは気にせずに、あっけらかーん♡としながら、明るく強く生きてゆきます。
応援よろしく!!!
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mana