答えの出ないことを考え続ける〜【港に灯がともる】を観て〜

久しぶりにシネ・ウインドで映画を観ました。

最近観た作品で知ったこと
あれこれ自分なりに調べて考えていたこと
SNSで感じていること

そのあれこれが線でつながり、
理解が深まったようなことと
余計にわからなくなったようなことと、、、
つながったはずの線はいま、絡まっています。

【港に灯がともる】は、
「帰化」「阪神・淡路大震災」
この2つのワードが柱でした。

「家族」「居場所」も考えさせられましたが、
心に引っかかったのは『帰化』でした。

この世の中には、どうでもいいことから生まれてしまうものがありすぎるように思います。

どうでもいいこと
どうでもよくないこと
それを選別し区分することは自由で、
それは断捨離の仕分けに迷うことと同じくらい
簡単だったり難しかったり。

人にとってはゴミ
人にとっては宝物
決めるのは所有者の特権のはずなのに、作品中にあった【グラデーション】をよしとしない人たちがあ〜だこ〜だと好き勝手なことを言う…その図式が蔓延るこの世界の霧はいつ晴れるのでしょうか。

米軍がナチス領内を進み、各所で解放された収容所のドキュメント映像。
私が「ユダヤ」「ナチス」「ホロコースト」を調べるきっかけになったものです。

普段、作り物の殺害シーンや手術シーンでさえも目を背ける私ですが、直視できたご遺体を片づけるシーン。
まるで丸めたティッシュをゴミ箱に捨てる時のように軽く放り投げられ、ほうきで落ち葉をかき集めるように乱雑に、石ころを蹴飛ばすように軽やかに、ひとつの場所に重ねられていくその姿を見続けられたのは、人が人と思われずに扱われていたからなのか、私が人を人と思うことができなかったのか。

生きている人が死ぬ瞬間はおそろしいと思うのに、生きていた人が死んでいるのを見ることは怖いと思わない、その矛盾した感覚に不可思議さを感じながら、言葉で知っていた想像の世界をリアルな映像で受けとめることができました。

知りたくなったので、次にこちらを観ました。

ヒトラー関連の作品は過去にも観たことがありましたが、起きてしまった出来事の背景にどんな人たちがどんな思いや考えで生きていたのかに興味がありました。

国が戦争を起こす理由をAIはこのように書きます。
・民族や宗教の違いによる対立
・資源や領土をめぐる争い
・政治の不安定や政権に対する不満
・歴史的な対立
・貧困や格差
・国際協力の不足
・国境が不明確であること

戦争というと国という大きな括りで考えますが、武力を用いない傷つけあいは戦争と同じ理由で日常を侵しています。

首脳陣がコの字に座り淡々と話し合いをするだけの映像は、【最終的解決】という結末に対して誰も疑念を抱くことなく、負担をなすりつけ合い、簡単さと楽さとを重視する効率化と負担軽減の方法を考えるビジネス会議でした。

「悪」「憎むべき相手」と人種で人間を一括りにすることに何の疑問も抱かず、一個人と向き合うことをやめた末路が人種差別だとするならば、ホロコーストが起きていた時代から何の進歩もしていないのだと、今日改めて感じました。

ヴァンゼー会議の結果、どのようなことが起きたのかは他の作品でも見たことがありましたが、次にこちらを観ました。

ところどころ記憶にありますが、映像や資料で歴史を整理してから見ると湧き起こる感情も変わります。

伝記映画は伝聞や伝承が役割ですが、大勢の人が観たからといって世界がすぐに一変するわけではありません。
でも、広める力はもっています。

この世界はこれまでに起きてきたことを伝聞する機会が少なすぎて、伝承する力が乏しすぎるのかもしれません。

私自身、戦争のことを祖父母から聞いたことはなく、日常と生活が変わるほどの大きな災害の経験もありません。

伝聞する機会も、伝承することもないので、ぼんやりとしていると何も受け継ぐことも引き継ぐこともできません。

せめて、知ろうとし続けるしかありません。
知って、考え続けなければいけません。

映画の紹介くらいしかできませんが、シネ・ウインドの皆さんに周囲の人へ広めることを望まれているので、今日ここに残しておきます。

とても恥ずかしいのですが、
帰化という言葉を今日初めて知りました。

日本国籍を取得することだというのは、作品の流れでわかったのですが、その背景をさっぱり理解できていませんでした。

「在日」「帰化」この2つをSNSで検索すると、
差別だ、差別じゃないと、論争が起きています。

幼い頃から「在日」だけは聞いたことがありましたが、特に気にすることもなく今に至ります。
その無関心や無反応や無干渉がよいかどうかはわかりませんが、私には何も引っ掛からなかった。ただそれだけ。

作品の中で【『ふ〜ん』ただそれだけ】という台詞が出てきましたが、その一文に込められた想いも想像でしかありません。
けれど、私はそこに共感した。

差別かどうかを決定づけるのは誰にもできず、
差別と感じるかどうかはひとつの事実で、
そう感じる人がいるのも事実、
そう感じない人がいるのも事実。
そこは誰にも変えられない。

誰しも、発する言葉には、理由がある。
誰しも、発する理由には、背景がある。
背景からは、理由と原因の2種類が生まれる。
背景は、変えられないことが多いかもしれない。
けれど、どんな背景からも結末を変えることはできるように思う。

背景を知ろうとせず、主観で物事を区別するのは違う気がしています。

【グラデーション】という考え方は非常に大切だと感じます。
すべてを何かに決定する必要はなく、グレーがいい場合もある。

決めることも定めることも両方とも難しい。
安易にできるものではなく、
えいっ!と決め定めていいのは自分のことだけ。

意図せずとも傷つけてしまったなら謝るべきだし、
傷ついたと言われる理由も考えなくてはいけない。

他人を慮ることはとても難しいけれど、対象を間違えてしまうと要らぬ涙が流れることは忘れてはいけない。

組織は人で成り立っているけれど、組織が動く時に関わる人はほんの一部だったりする。
ヴァンゼー会議のように。

事実は事実。
でも、
その事実を背負わなければいけないのか
その責任がどこまであるのかは
立ち止まって考える必要があると思う。

(具体的なものを)継承する者
(抽象的なものを)承継する者

見えるものと見えないものがあるけれど、
見えるものの内側には見えないものがある。

上っ面だけを見て知った気になる人にはなりたくない。せめて、知ろうとし続けたい。

とりとめのないブログになってしまいました。
とにかく作品を観てほしいです。

シネ・ウインドの公式HP

私はいつも古い映画をプライムビデオで観ています

ブログを書くのに3時間かかってしまいました(笑)
けれど、今日も答えの出ないことを一生懸命考えることができて、よい一日だったと満足しています🙌

SNSは
「ひとり 対 無数の人」の怖さがあって、
見えないのに「無数の人」がどこまでもどこまでも無限にいる気がして余計に怖い。

アンパンマンとバイキンマンの関係を
忘れずにいたい。

人が一生懸命生きていることを
認めたい。

何かを発信できるって素晴らしい力だと思うけれど、見えないもの(者)同士が戦うことで血や涙が流れることは避けたい。

人を傷つけず、不快な思いをさせないように、言葉を選んで慎重に書きましたが、これも一人の人間の考えに過ぎないので、「ふ〜ん」と流してもらえたら幸いです。

最後までお読みいただき、
ありがとうございました🕊

mana

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