アンパンマンのマーチ

♪アンパンマンのマーチ♪が大人の心にささるというのはよく耳にしますが、本当にそうだと思うんです。

このマインドで生きる時間が長いほど人生が豊かになるので、生まれたての赤ん坊から幼少期を過ぎてアンパンマンを卒業しても、♪アンパンマンのマーチ♪だけは節目節目に何度も聴いて歌詞を読み直したほうがいいと思っています。

(О’̑〇̮’̑О)

そうだ うれしいんだ
生きるよろこび
たとえ胸の傷がいたんでも

なんのために生まれて
なにをして生きるのか
こたえられないなんて
そんなのはいやだ!

今を生きることで
熱いこころ燃える
だから君はいくんだ
ほほえんで

そうだ うれしいんだ
生きるよろこび
たとえ胸の傷がいたんでも

ああ アンパンマン
やさしい君は
いけ!みんなの夢まもるため

なにが君のしあわせ
なにをしてよろこぶ
わからないままおわる
そんなのはいやだ!

忘れないで夢を
こぼさないで涙
だから君はとぶんだ
どこまでも

そうだ おそれないで
みんなのために
愛と勇気だけがともだちさ

ああ アンパンマン
やさしい君は
いけ!みんなの夢まもるため

時ははやくすぎる
光る星は消える
だから君はいくんだ
ほほえんで  

そうだ うれしいんだ
生きるよろこび
たとえどんな敵があいてでも

ああ アンパンマン
やさしい君は
いけ!みんなの夢まもるため

(О’̑〇̮’̑О)

なにも毎日アンパンマンのように生きる必要はなく、『長期的』『一生涯』で、自分と地球や社会や家族や人に何かを残せる生き方をしたほうが幸せだと思うんです。

命をいただき現世で生きるってそういうことでしょう?
次へとバトンをつなぐための走者に選ばれて生まれてきたんじゃないの?

何を残すか、何を継承するかの規模はどうでもよくて。

「地球にやさしい生き方をしていました」でも、「高額納税で国と人を支えました」でも、「家族の暮らしを守るために一所懸命働きました」でも、「一日一善を心がけました」でも、「医療費を含み、税金にお世話になることなく生き抜きました」でもなんでもよくて。

小さかろうが大きかろうが何かや誰かに貢献できていれば、この世界の住人として生きた証を残して次にバトンをつなぐことができたということになり、それは生を享けた使命を最低限は全うできたことになるのだと思います。

一日を振り返って(なぁんにもしないでぼ〜っとしちゃったなぁ)って日があってもよくて、(今日たっぷり休息できた分、心と体にゆとりができた!明日は家族のために美味しいおかずをいつもより一品多く作ろう♪)みたいな気持ちになって、結果いつもよりちょっとだけ「美味しい」「嬉しい」が増えたら、それもまた何気ない普通の一日が【誰かのため】になる一日になったわけで。

そういう小さな積み重ねを繰り返して、誰かの力になれていたら幸せだと思うんですよね。
自分もまわりも。

娘には、そういう思考で一日一日を大切に生きてほしいと思っています🍀

 

mana

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