またすぐね

人生のたらればは、別の道を選択したとしてもその別の道で違うたらればを考えることになり、全くの無意味だ。

歩んだ道で起きた全ての奇跡を
できることなら正解にしたいと思っている。

住む地区すら違うのに、同じ学校・同じクラスになることはそれだけで奇跡と言えるし、まして同じクラスだからといって気が合い仲良くなれるとも限らない。

思い返せば学校生活で共に過ごした時間なんてほんのわずかで、実際のところ同じグループだったのか?と振り返るとそうでもなかったような気がするけれど(笑)少しずつ交友関係が狭くなっていく中で、高校を卒業してから20年を過ぎても定期的に会う友人たちはきっと惹かれ合うものがあったのだろうと思う。

入学してすぐ一人一人を初めて見た時の記憶が今も鮮明に残っている。
その印象はちょっと変わったものだけど(笑)それくらいインパクトがあったほうが入りとしてはちょうどよかったのかもしれない。

もしかしてもっと一緒に過ごす時間が濃厚で長すぎたら、今は違う関係性だったかもしれないし、きっと全てがちょうどよかったのだろうと思う。

なかなか全員揃わないのが残念ではあるけれど、誰かの誕生日になるとグループLINEが稼働してちょっとした会話が弾む。

SNSで繋がったりして、会えなくても会話の中で名前が出ることがずっと続くことが大切なように思う。

出席番号順に思い出して、時々名前を間違えたりして(笑)それでも入学してすぐの座席を全員が覚えていることが素敵だなって思うし、緊張と期待とわくわく感といろんな感情を抱えながら、彩り豊かな青春というものが確かにそこにあったのだろう。
なんかそういうのっていいよね。

すごく楽しかった高校時代、もしかしたらもっと違う楽しみ方があったのかもしれない。

思春期ならではの人間関係のいざこざがなければ違う今があって、もしかしたらそっちのほうが良かったのかもしれない。

でもその時の精一杯の全力で築いた青春だから、
やっぱり全て宝物。

傷も、思い出すと顔が曇る出来事も、
良いことも悪いことも全てを抱えて今がある。
過去を否定することはナンセンスだ。

人生であと何回会えるのかなんて考えるだけムダだけど、会えなくなるのは寂しいなって思える時間を紡ぎながら、「またね」って言える関係であり続けたいと願っている。

「ありがとう」
「会えて嬉しかった」
「会えるのを楽しみにしてる」
そんな言葉を掛け合いながら、過去のこと・現在のこと、その両方を話せる友がいることがありがたい。

油っこいものが体にこたえる歳になってきたけれど(笑)もう一度高校生活のように一緒に愉快な時間を過ごせるときがすぐそこまでやってきている。

高校生の時とは違う大人の楽しみ方で、
みんな一緒に第二の青春を愉しめたら最高だ。

今宵もよくしゃべり、よく笑った。

冷たい夜風にあたりながら、
いい時間だったと振り返り笑顔になれる幸せよ。

降りたバス停から終点まで乗る友に手を振ろうとすると、バスの中で手を振っている友がいて、そういうのっていいなって思う。

解散した後、グループLINEで「楽しかった」「会えてよかった」「ありがとう」と全員が言葉にする。そういうのって本当にいいなって思う。

今日もありがとう。
またすぐね。

mana

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