やめることから受けとる教え

いつもブログを読んでくれている友人が、
「◯◯が生きるのやめたことについて書かないの?」と…有名芸能人さんのことです。

心がチクチクしていますが、
いま思っていることを心のままに書き綴ってみようと思います✏️

コロナ関連
戦争関連
連日続く目を背けたいニュースの合間に差し込まれる新たな話題が、
船の転覆
殺人
そして自死となると、
心のざわつきの逃げ場がなくなります。

救いは、少し前までは全チャンネルニュース番組だった時間帯でも、バラエティ要素強めの番組があること。

だからといって惹かれるわけではないので、
一通りチャンネルを回したあとはそっとテレビを消して、大好きなドラマやアニメを見始めます。

朝一そして就寝前に
ネットニュースをチェックするのが日課です。

いつものように朝レッスンが終わり、
いつものようにお弁当を作り終えて、
いつものように娘を送り出した後、
いつもとは違う感情で心が乱される速報が目に飛び込んできました。

「元気そうに見えても、心の内はわからない」
「SNSを活発に投稿しているからといって、元気とは限らない」
どのニュース番組の、どのスピーカーも似たようなことを話していました。

(そんなの当たり前じゃん)と毒吐きながら、
他に間を埋める言葉が見つからないということも察して頷いて・・・

コロナ禍であることや、自律神経が乱れて心身が落ち着かない時節柄であることがよくないほうへ突発的に背中を押してしまったのかもしれない。

ずっと心に潜めていて
溜め込んだものが満タンになり、
心と体が合わさって「今だ!」と旅立つことを決めたのかもしれない。

答えは誰にもわかりません。

前に同じように生きることをやめた芸能人について書いたときは、それまであまり自死を選ぶ人を知らなかったこともあり、人の生き死にに対して浅はかなところで意見が彷徨っていました。

今も彷徨っていますが、
以前と違うのは
【自死を選ぶ人を受けとめる】
という考えが少しだけ自分の中にあるということ。

けして肯定するわけではありません。

けれど、
時間を大切に紡ぐことなく
自分を棄てて
雑音混じりの心臓だけがトクトク動く日々を生きるより幸せだと思うなら、、、

命に対してしっかり向き合って、
真摯に自分の人生を全うしきるために選んだ道だとしたら、、、

一生懸命に生きることを放棄しながら生きている人より、もしかしたら、もしかすると…
尊い人生を歩み終えられたのかもしれない。

よくないことだけれど悪とは違うし、
法律で処することができない罪だから
怒りや腹立ち・憎悪を抱けるわけでもない。

生きていた事実と
生きて紡いできた人生のすべてを受けとめるには
最期を織り成して完結。

人が選んだ道にあーだこーだと言えるのは、
誰なんだろう。

ブログに文字を連ねるだけの冷静さを保てるのは、本当に近しい人ではないからかもしれない。

そんな私でも
ただ悲しく、
ただ寂しく、
ただ切なく、
理解も納得もできずに
モヤモヤとざわつきが残る。

理解を求めていない人に
理解したように取り繕っても意味がないけれど。

『受けとめるということも
いま生きている人間にできること』
そうわかっているつもりになって…

実体のないものに対してできることは
すごく限られるということ、
これだけは毎度嫌というほどわからされる。

選んだ最期の時までは懸命に生きていたことを認め、生死に対してとてつもないエネルギーを投じて決断したことを否定したり(どうして?)ばかりを押しつけるのではなく、一旦は認めて受けとめるということをしたい、できる人間でありたいと思うのが以前との違い。

きっと時間が経てば
また違う考えを抱いて彷徨うでしょう。

私にできることは、
私の人生を全うすること
私の周りの人が生きやすいように努めること。

人の生き様と死にゆく姿から感じとったすべてを、自分と自分の大切な人のために注ぎ生きることが私にできること。

そんなことを思いながら、
今日も一日を大切に過ごしました。

今日もまた学校での出来事を吐き出す中学生。

頷き時々一言返してまた聴いて…

一通り話して落ち着いた様子だったので、
「話して少しはスッキリした?」と訊くと、
『うん。思ってること言って少しは…スッキリした!』

話の内容は、
人の理不尽さと
大人への不信感。

義理堅く真面目、
いつも冷静で客観的にモノを見れる子。

『人のためにできることをやろうと思って行動しているけれど、別に見返りを求めてやっているわけじゃない。けど、人の気持ちを無下にしたり、恩を仇で返すのだけはやめてほしい。』

『ルールを守らない、時間を守らない、そういうの見てると疲れる。別に自分たちだけでそうならいいと思うけど、人を巻き込むのとか違うでしょ。迷惑すぎる。』

校外学習で団体行動を強いられて、
ストレスMAXで帰ってきちゃった💧

携帯の持ち込み禁止なはずなのに、
イヤホンつけて音楽を聴いていたり
動画を見たり
写真を撮ったり…
そういう生徒の様子全部見て見ぬふりして、
極めつけに引率者である先生が移動中に生徒を見守らず寝る姿を見て絶望して・・・

『教育者としてどうかと思う。人を教育する立場の人は、学校の場合は生徒がルールに反したことをしていたらそれを正すのが仕事でしょ。全部見て見ぬふりって、教育者として失格。』

それでも優しいから、
『まぁわかるよ。先生だって人だから、生徒にはできるだけ嫌われたくないし、何か言って嫌われるかもって思ったら言えなくなる気持ちもわかる。』
と、寄り添う様子も見られて…

「思ってること、そのまま先生に言ってみたら?」と言うと、
『それはちょっと言いにくい…』

「なんでよ(笑)私に話したことそのまま言っていいんだよ。◯◯が我慢する必要ないし、私は間違ったこと言ってないと思うよ。大人でも誰でも、ダメなものはダメって教えてあげないと!」

『クラスの人たちには言ったよ。』

おっ!エライ!
けど、先生に言いにくいのは何でだろう?

一生懸命にルールや規律を守って
一生懸命に清く生きようとしている子どもがここにいる。

清らかな心
真摯に生きようと努める心
そういうものを踏み躙らないでほしい。

絶望と諦めを繰り返させないで。

純真な思考を、
怠惰で満ちた不誠実で侵さないで。

良識をもって生きる人がバカバカしいと全てを投げ出したくなるような醜い世界を見せないで。

「そういうモノに自分を犠牲にするのは良くないよ。それを理由にして、自分をおとすのはもったいないし、負けたみたいで悔しいでしょ。どんな時も自分を保て!」

『わかってるけど、落ちてる心を上げるのもエネルギーがいるから、いまは無理。ちょっと一休みしてから頑張る!』

嫌な気持ちで支配されてしまった心が邪魔をして、やる気になっていた定期テストの勉強をする気になれないらしい(笑)

可愛い♡

また話を聴くことを約束して、
定期テストの勉強も言い訳しないでしっかり取り組むことも約束して、
また月曜日🙋‍♀️

こういうことの積み重ねが、
人の心を壊してしまうのかもしれない。

Facebookで見たけど、
いのちの電話とか
こころの相談ができるところにも
営業日と営業時間があるんだって。

人が暗いところに心をおとしてしまうのは
大抵夜なのに、
夜やっているところは少ないみたい。

本当に必要なときに機能していないって…
救える命が実はもっとあったんじゃないかな。

かと言って、私自身も24時間ずっと人に寄り添えるわけではないから、自分が起きている時間くらいはせめて人が生きやすくなるように努めたい。

心と体を元気にできるお仕事ができているって、
最高だなぁ〜♡

子どもたちにとっても、
大人にとっても、
心のモヤモヤを代弁したり
本人以上に毒吐いて笑わせたり
言葉で救える、そういう人でいたいな⭐︎

悲しみの連鎖で昨日も今日も涙を流している人に
寄り添ってくれる誰かがいてくれますように🍀

mana

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