夏休みの提出作品〜子どもの成長を心から楽しみ喜ぶ〜
学校の宿題の量や質についての見解は様々で、多いと捉える人もいれば少ないと考える人もいます。
(ちなみに私は少なすぎると思う(笑))
宿題の定義を考えた時に、
・学習習慣の促しと定着
・既習内容の確認と復習
・しっかりおさえておきたい箇所の厚い補填
など色々あるけれど、
インプットとアウトプットを繰り返す大人と同じことを、子どもたちも宿題という課題の中で行い学び得る感覚を高めることにもあると思うし、出された課題を期日までに計画的に取り組み提出する…など、理由をつけようと思えばいくらでもつけられます。
そこに何の意味を見い出し、どう考え向き合い何を得るかはそれもまた個々によりけりです。
逆に言えば、「無意味」だと切り捨てることもできます。
けれど、そこに実は何の意味もなくても、0を1に変えて有効化し価値を高めることができることこそが素晴らしいわけで、子どもたちにはそうやって全ての物事に意味や付加価値を見つけ、自分自身でその時間を無意味化することなく生きてほしいと思っています。
(もちろん、後付けでもOK。時間の経過とともに気づくこともあります。)
夏休みの課題を代行業者に依頼するケースが増えています。
商売として成り立つのであれば、我が娘のゆめなんかは立派な稼ぎ手となるでしょう(笑)
↑これを訊いてくる生徒は0ではないです。
そもそも 【自由】なんだから提出の有無も自由であるべき。という意見もあるようですが、 【自由】が謳われながらも縛りや制約があるのが悲しいかな大人の世界。
学校は、小さな社会。
状況や環境にあわせてどう向き合い立ち居振る舞っていくのか、いきたいのか、考え感じ学ぶ場。
コミュニケーションスキルを高め人との距離のとり方や言葉のキャッチボールの仕方を練習する場。
もちろん学習の基礎を身につける場でもあるけれど、集団生活の中で友達や先生との関わりを通して学力の他に身につけるべきもののほうが多く、どちらかと言うとそういう人間力や生きていくための術を身につけている子は自ずと学力も高くなると思っています。
それは教室の生徒たちを見ていても思います。
賢いからできるのではなく、お作法や人としての根本の部分がよくできるから賢くなる。
整理整頓~とか、人の話を最後まで聞く~とか、真摯に聞き受けとる~とか、本当に当たり前のことだけれど。
話は戻って自由研究・自由課題。
果たしてこれは無意味なものだろうか。
出された宿題だからという理由だけでやっても、やった事実だけで称賛される教育は違う気もするし、それこそ何のための時間と労力だったのかわからなくなる。
けれど、宿題という集団教育の中で与えられ自分がするべき義務すらも全うできない子どもはそれこそが可哀想だと思います。
自力で考え、自力で解決する。
決められた時間内で、自分ができることややりたいことを見つけ、計画的に取り組み完成させる能力ってすごく大事だと思います。
月曜日までに提出する作品をまだやっています(笑)
コンクールに出品する絵(๑ ˊ͈ ᐞ ˋ͈ )ƅ̋
私はゆめが描く絵がとても好き♡
上→人生初の作品(笑)
下→たった今の作品☆
休みながら、かれこれ3時間近く(。>ㅿ<。)
自分で考えて、どう筆を動かしたら線がどうなるか研究して試行錯誤しながらここまできました(*´-`*)
(シャツとパンツ姿という下着姿で厳かに書道…可愛い♡笑)
「書道習いたい」とか言ってるし(,,꒪꒫꒪,,)
我が娘ながら素敵でーす♡
まだ清書してないし、硬筆も終わってなーい…
のに、今から貯金箱作ろうとしているし…
(⊙ꇴ⊙)
明日の休みもこりゃ休めないな(笑)
宿題とか自由研究って楽しいよね♡
今年もたくさん頑張ったねー!
mana