エゴとワガママな願いと
土日、祖母の一周忌で上越へ行ってきました。
桜の季節を過ぎるとお盆に立ち寄るくらいで、緑多いこの時期に行ったことはなかったかもしれません。
蓮池がとても寂しい感じでしたが、晴天の青空に映える緑が美しく、吹く風が心地よい週末でした。
幼い頃から私の遊び場だった高田公園は、
お気に入りの絶叫すべり台(笑)が撤去され
小さい子用のカラフルなすべり台に変わっていました。
立派な公園ですが、人が少なく閑散としていました。
遊具は使い放題❣️
ゆめは嬉しそうに遊んでいました(´˘`*)
母と一緒に立ち寄ったのですが、
幼き頃に私を連れて出かけていた公園の遊具で
大人になりママとなった私と
その娘の子どもである孫が
一緒に遊んでいる光景はさぞ不思議で感慨深いものがあったでしょう。(推測ですが)
この神社は祖母の家の近くにあります。
遊具の場所は昔と変わっていますが、
神社全体の雰囲気は変わらず
落ち着く居心地のよい優しい場所です。
懐かしい思い出がたくさん蘇り、
自分の子どもと遊ぶ時間がやっぱり不思議で
何だかくすぐったい気持ちになりました。
いろんなところに思い出があります。
ゆめが寝ている布団も、
懐かしい匂いと今は亡き祖母の匂いがした気がします。
祖母の家にばーちゃんがいないという事実を
わりとすんなり受け入れられているのは、
亡くなる前に祖母が病院に入院していて
祖母不在の空っぽの家に泊まったりしていたから。
寂しさはあるけれど、不思議と辛さはなく、
優しく穏やかな気持ちで過ごせる家で
のんびり時を過ごしました。
心残りは、孫としての私というよりも
運動指導者としての私。
運動指導者としての私が今も少しだけ後悔しています。
思うように体を動かせず、
寝たきりだったり、どこにも行けなかった祖母。
体の機能を回復させたり改善させる運動指導をしている私の家族がそうであった事実を、
環境や住まいの距離のせいにしてホッとしている自分が時々ものすごく情けなく思います。
だからこそ、
祖母にできなかった恩返しを
同じくらいの年齢であるお客さまや
レッスンに参加してくださるお客さまに
少しでも『届け!』と躍起になります。
押し売りするつもりも
押し付ける気持ちもありませんが、
いまの私にできることを粛々と務めあげ
感じている後悔の念から少し肩の荷を下ろしたい…
そういうわがままで身勝手な気持ちがないわけではなく、そこは否定できない紛れもない現実かもしれません。
けれど、やっぱり、
元気でいてほしいんだよなぁ…
出会った瞬間から大切なんてそんな重たいことは言わないけれど、
いただくその笑顔をずっと見続けていたい…
しなくていい痛みも苦痛もなく
自分の人生を全うできる幸せな健康人生を
できることなら過ごしてもらいたい🍀
そういう想いで運動指導者をしています。
元気でいられることは当たり前じゃない。
元気はつくれるもの。
自分が望んで元気になることはできる。
明日も元気でいよう❣️
mana