今日も生きている
新潟駅南口の広場の落ち葉アート🍂✨
寒さが増してきた新潟に、
ほっこりとしたあたたかさを落としてくれた
素敵なアート🍁✨
前にもブログに書いたことがあるけれど、
私は落ち葉が好きだし、
木にわずかに残っている今にも落ちそうな枯葉も好きだ。
『冬』と呼ぶにはまだ早いこの曖昧な時期。
今日はあられが降ったけれど、
まだ冬支度はできていない。
これは去年のもみじ谷の紅葉の写真🍁
この写真を載せたブログにも書いたけれど、
私は枯葉が凛と形を保ち一生懸命に枝に残り
お日様の光を浴びて嬉しそうにしているこういう姿が大好き。
いつかは落ちて自然へと還っていくわけだけど、
咲いても、枯れても、
散っても、落ちても、
どの時を切り取っても魅力を感じる。
それは人も一緒だってことを
ブログに書いてたっけ。
考えも好みも基本は変わらない。
「まなちゃん、ブログに書いてよ」
何を書けと言うかと思ったら、
死を一瞬でもよぎらせた自分が生きていた証を
私のブログに残せということらしい。笑
(死ぬわけじゃあるまいし大袈裟な…)
と思うけれど、
きっと本人はいたって真面目だったんじゃないかなと思う。
もしかしたら
冗談めいて呟いた一言を私が素直に受け取り、
こうして書いていることに驚いているかもしれないけれど。笑
🍁
よく体調を崩す。
風邪ひいた…
喉痛い…
熱が出た…
すべての元凶がしっかりとわかっているだけに
仕方ないとも思うけれど、
体調管理ができていないのもまた事実。
大きな体をして
見た目はとっても強そうだけれど、
自分のことを『雑魚』と言う。笑
それくらい、ちょくちょく寝込んでは
病院と医者と薬とにどっぷり浸かっている。
ここ最近は2週間のうちに何回点滴したことか。
健康保険証を開封せずに捨てる私には
到底考えられない。
可哀想半分、ため息半分。笑
「まなちゃん、具合悪い」のLINEが入った時の私の(またかよ…)の困った呆れ顔は見せていない。
けれど、私の呆れ顔を想像しては心が病んで、
ぽつりぽつりとこぼす私の言葉がいちいち胸に突き刺さってはその棘で余計に回復が遅れていると思う。笑
元気を売りにして健康ロードの伴奏者として走り込む日々を送る私のそばで、
病院に駆け込むのが茶飯事な彼の存在は…
正直シークレット㊙️🤫笑
もっと言えば、
(健康的な肉体と精神をもつ人々を増やすべく奮闘している私の横で一体何をしているんだい?)とも思っているけれど、
呪術廻戦のパンダみたいな見た目で実はげきよわなクマのプーさんを選んでしまったのだから仕方ない。(私のバカ♡)
🐼
手術をすることになりそうだけれど、
そこまで大きな手術ではない。
いろいろと検索してみたけれど、
入院前からの心情や
入院中の病院食の記録と病室での過ごし方
退院の日の晴れ晴れとした姿の一通りを
ブログに書けるだけの余裕があるみたいだし。
実際、手術自体についても
術後の出血で緊急再手術になることはあっても
死ぬ確率のことは書かれていないし、
死に至ったケースの記事は見つからなかった。
それなのに、普段の心配性も発揮して
口を開けば【死】というものに敏感になったワードがボンボン出てくる。
大丈夫だって言っているのに。
そりゃ何事も100%の保証があるわけじゃないけれど…。
(人ってこうして体から心へと傷が広がっていくんだな…)と貴重とも言える擬似体験を度々ギフトしてくれる。ありがたくはないけれど。笑
人は脆く、弱い。
そう考えると、
末期ガン宣告を受けてなお力強く生きている様を
メディアを通して(表面上では)イキイキとした笑顔で伝え、人々に生きる希望と勇気を与え続けてきた某クリニックの院長はすごいと思う。
私の横でネガティブワードを連発するそこのクマさん!見習いなさい!🤜🐻💦
🐻
「まなちゃん、ポイする?」
身体が資本の仕事をしているまなはすごいよ!と度々褒めてくれますが、その分不健康がちらつく自分に自信がないようで、私に捨てられるのではないかとヒヤヒヤしている模様。笑
確かにこの先の未来、
あっという間に取り残されるのも
不健康を一緒に背負うのも
いちいちネガティブの沼にハマる姿を見るのも
正直イヤだ。
けれど、立場が逆になる可能性もゼロではない。
病は突然やってくる。
突然がいつやってくるかは誰にもわからない。
今日健康だと思っていても、
明日は急性なんちゃらに罹ることもある。
可能性がゼロじゃない限り、
私だけが全ての負を背負うシナリオを考えるのはフェアじゃないし、考えても意味がない。
だから、ポイするつもりも毛頭ない。
ただ、今まで以上に【健康】を押し売りすることにはなるけれど♡
いい加減、「(雑魚と呼ぶ)不健康の俺」が私の一番近いところにいるという秘密をもつのをやめたい(笑)
🐻
運動指導者をしていて時々感じるのは、
ものすごく健康で
どこに痛みがあるわけでもない私は、
人の身体を想い寄り添おうはするけれど
理解や想像が難しいこともあるということ。
体から心
心から体
影響を与え合い良くも悪くも飲み込まれてゆく変化のすべてを私は知らない。
実体験がないのだから、
「先生にはわからない」と言われてしまったら
何も言えなくなってしまう。
そういう意味では、
体調不良と闘う姿やその時の心情
快復に向かっていく様子や気持ちの変化
それらすべての過程で変わっていく人生観や死生観・価値観みたいなものを彼は教えてくれる。
健康に生きることに対する考え方が
少しずつ変わってゆくのを感じている。
タバコをやめて
飲酒量も減って
食事を気にして
健康を意識した生活をしようとしているのは
私のおかげでしょう♡
必要な人のところに
必要な人がいる。
健康という観点とはべつに、
私にとって生涯必要だと感じているその存在が
健康に生きてそばに居続けてくれることを心から願っています🍀
⭐️☀️
お決まりの時間に「『おやすみ』」
今朝もぴったし7時に「『おはよう』」
こうして、
おやすみとおはようを繰り返しながら
日々を重ねていけることは
当たり前ではなく
ずっと続くわけでもない。
けれど、
夜と朝を繰り返し
遠い未来にある互いの死を意識しながら
いま一緒に生きれていることが
すごく幸せだと思う。
また今日も「『おやすみ』」
また明日も「『おはよう』」を言おう⭐︎
✏️
今日も生きている証💌書いたよ。笑
✏️
皆さんの大切な人が今日も健康に生きていて、
また明日も一緒に朝が迎えられますように🍀
mana