『次』がくる保証はどこにもない
朝、出勤前にFacebookを開いて3つ目の記事。
それはとても悲しい訃報のお知らせでした。
今年6月。
暖簾をくぐって一番最初に見えるはずの
おやっさんの姿がありませんでした。
店内のど真ん中の焼き場には、
いつもと違う人。
ホールの人に
「今日おやっさんはどうしたんですか?」
と訊くと、
『ちょっと体調崩して入院しちゃって…』
コロナにでも罹ったかな?
と思い、
次に行った時は元気な姿が見れると
当たり前に思っていました。
一番最初にお店に行ったのは
もう15年以上前でした。
久しぶりにお店を訪れた時に
たまたま焼き場の真横の席で、
炎と熱風に煽られながら大量の汗をかき
それでも崩れないリーゼントと
時間が経っても変わらぬ威勢のいい声と姿に
元気をいただきました。
大した会話がなくても
見ているだけで楽しくて、
焼き場の横の席は特等席です。
串を両手の指に挟み
リズム良く焼き上げて皿に盛り、
次々にお客様の口に運ばれていく焼き鳥は
そこにいるお客様全員を笑顔にしていました。
リーゼントもカッコイイですが、
焼き鳥を焼く姿が惚れ惚れするくらいで…♡
少し眉間に皺を寄せながら
渋い顔でひたすら焼き鳥を焼くおやっさんからは
漢の色気を感じました。
すっごく元気なように見えていたので、
『次』がまた来ると思っていました。
味も美味しいけれど、
おやっさんの手仕事を見るために行っていたようなものです。
だから、
もう見れないのは
寂しい。
手渡しでもらう平凡なチューハイが
すっごく美味しかったのに。
もうおやっさんの手から受け取れないのが
寂しい。
おやっさんのご冥福を
心よりお祈りいたします。
mana