答えより応えを大切に

すごくシンプルに考えれば、
すべてが【個性】

見た目・精神・思考・行動その他すべて、
【個性】です。

個性を変えることも壊すこともせず
【自分】という唯一無二の宝を引っ提げて、
人生という有限の時間の中を
思うがままに冒険できたら
どんなに幸せだろう・・・?

ということを考えることもなく、
『I live as I want to live』な私は
なんて幸せなんだろう。と思います。

日本の国民性、
日本人特有の感性や価値観…

日本人の特徴は、海外からするとその特異性に驚かれることもしばしばです。

日本の教育の一般的な常識の中で育つ子どもたちは、育てられている過程ではその窮屈さや独特さに気づきません。

少しずつ変容していく教育や子育ても、
良き名残りもあれば
新しく悪しき風潮となるものもあります。

時代は変われど、
人が育つ過程の中で根幹として大切にしなければいけないものもあれば、
移りゆく時代の流れに合わせて取捨選択をし、さらに優先順位を決めねばならないこともあります。

その判断はすごく難しいように思います。

すべての基準が、
自分の経験と五感・直感任せでは
不安や心配が尽きないのも無理はなく…

親が子に、
子が親に、、、
親子間の悲しい事件の連鎖が止まらないことや
大人になりきれなかった大人による犯罪が増えている現実がそれを物語っているように思います。

見方を45度変えれば、
今までの自分の【観】に対して素直でない捉え方ができて、偏り穿った捉え方ができるようになります。
それは、ひねくれた考え方にもなりますが、自分の【邪】を見つけることで、新たな自分と巡り会えます。

見方を90度変えれば、
立っていたものは横になり、
横たわっていたものは立ち上がるようになります。
何かに疲弊したのであれば休み、
十分に休息したらまた鼓舞し躍起する…
剛柔バランスの良い見方と生き方ができれば、
こっちのもの。

見方を180度変えれば、
別世界・別次元に心も身も投じることになります。
それは自分を肯定することでもあり、
否定することでもあります。
けれど、肯定と否定の相反するものを天秤にかけることができるようになることこそが、人を育て大人にさせます。

日本の教育はまだまだ
全員が前を向き
全員が同じ歩幅と歩速で歩まねばなりません。

一糸乱れぬように補整しながら
『個性を尊重する』と言い、
誰かが作った常識に照準を合わせて
補正しながら育てています。

人(子)が持つ【面白さ】が認められず、許容される範囲が乏しい教育の現場では、面白くない人間が育ちます。

個性を失った人間らしくない人間が
面白くない世界をつくってしまったとしたら、
その世界で生きる人々は
自分を生きる面白さを忘れ、
作り物の虚無の世界が面白いと錯覚するでしょう。

人を育てる側も、
人に育てられる側も、
もっと自由であればいい🍀

答えらしい答えしか持たないのではなく、
期待を裏切るくらいの笑顔になれる応えをその場で生み出し何の躊躇もなく表現できる人に…🍀

信念は何一つ変わっていない。

自分が目指す教育の形を
【いちにんまえ】と書くこの子から
改めて「そうだった」と思わせてもらい、
感謝した今日でした。

mana

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