怪物はだーれだ

夜はレッスンがありますが、
日中まるっと休みは珍しい。

朝活が終わって
家事をして
支度をして
映画『怪物』を観てきました。

喜怒哀楽の中の【怒】と【哀】が心を支配して
最後に少しの[楽]が訪れる、
そういう物語でした。

怒りの矛先が次々に変わり、
心がぐちゃぐちゃに掻き乱されました。

そうはなるまいと思っていた。

他人の不幸を嘲笑い
他人の不幸を枯れるまで吸い続け
他人を不幸のどん底に陥れる
他人の不幸は蜜の味のネットユーザー。

そんな人たちさながらに、
断片的に見え隠れするものだけで決めつけ
怒りの感情を勝手に生んでは棄てる身勝手さ。

私もご多分に漏れず怪物なのだということが
身に染みてよくわかりました。

怪物の餌は、悲しみなのか哀しみなのか。

「悲」は
悲痛や悲嘆で用いられ、
身が砕かれそうになる様子を表します。

「哀」は、
他者のかなしみを自分のことのように感じる様。

映画『怪物』は、
「哀」が餌となり怪物を生んだように思います。

言葉自体はとても重いものですが、
誰が何を言うかで印象が変わってしまうほど
実は軽いものでもあります。

思い込みや偏見が先行したまま受け止めれば、
要らぬ誤解や思い違いを生むことになります。

言葉を使う側は自分を守るために言葉を選ぶ必要があるし、受けとる側は言葉の裏に隠された真意をポジティブに変換する努力の必要があるように思います。

言葉選びが下手くそな人もいるし、
どうしても見た目で損をする人もいるから。

哀しみから生まれた悲しみを
怒りに変えて人にぶつけてはいけない。

なりたくないのに怪物になってしまった人が、新たな怪物を産むことは阻止しなければいけない。

どこかで負の連鎖を止めるために、
勇気を振り絞ることに躊躇してはいけない。

怪物は悪なのか。

誰かにとっての怪物は
誰かにとっては怪物じゃないかもしれない。

誰でもなく、それは当人が決めること。
つまり、
ガヤが騒ぎ立てる筋合いはないということ。

すべては自分の心の中に。
怪物は自分の中だけに。

ほっこりする間もなく、
少し気が楽になってエンディング。

亡き坂本龍一さんのピアノが
ポロンポロンと優しく鳴り響いていました。

ランチは久しぶりの【じゃがいも】
オススメランチコース🍴

「あれ?もうデザート来たんだ?」と最後まで食べずに残していたのが、いつも(これ好きなんだよねー♡)って思いながら食べているポテトだった(笑)

(今日はシュークリームかな?😋💓)
と思っていたのは内緒🤫笑

見た目に騙されてはいけない。
あなたがドSの意地悪女だと思っている人は、
聖母マリアかもしれないよ♡(朝活ネタ)

mana

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