エターナルメモリー

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じわじわとずっと涙が滲み続ける
やさしいやさしい時間でした。

笑いながら、じわじわ
唇を噛みながら、じわじわ
目の奥がじんわりとあたたかく
心がぽかぽかあたたかく
そしてチクンとちょっとだけ痛い・・・

生き様が美しいふたりだから、切り取られた映像も綺麗なところだけで、もしかしたら現実はもっと痛々しかったかもしれない。

けれど、映像で見えた範囲の姿は
すべて、全部、美しかった。

日本人に生まれてよかったと常日頃から思ってはいるけれど、もしも他国に生まれるなら、愛情表現が豊かで情熱的な国がいい。

チリという国柄なのか、はたまた翻訳する時にあえて映像や人物像に合わせて少しだけデフォルメされたのか、とにかく言葉のひとつひとつが詩のように美しい。

一言一言が羨ましいほど輝いていて、心ときめく。

手、頬、おでこ、さまざまなところに触れ合いながら、言葉を体温と一緒に伝え合うから、見て聴いて感じる視聴者側も【温度】を感じて心が揺さぶられるのだと思った。



不変が否定されて、可変を信じる毎日・・・

日常に当たり前にある不変と可変は、もしかしたら加齢とともに残酷なほどわかりやすく区分されていくのかもしれない。

それは不幸なことなのか?と問うた時、ふたりの姿を見てそうは思わなかった。

アルツハイマーによって変わってゆく自分と自分以外の人…変わるのは当事者だけではない。
家族も、その他の人たちも、みんな変わる。
変わるけど、変わらないものもある。

変わっていくことに意識を向けるのか
変わったことに意識を向けるのか
変わらないことに意識を向けるのか
このバランスで、心の支えられ方が変わるように思う。



『生きることが大好きだ』
『バカげているけど好きなんだ』
アウグストのこの2つの言葉がとても印象深く残っている。

生きることが大好きだ、長生きしたいと笑っていたのに、アルツハイマーが重度になると『早く死にたい』に変わる。
自分も愛する人のこともわからなくなり、記憶が現実を侵食していく。
自分に残っている過去の大切な記憶がいまを懸命に生きる自分を苦しめて、死にたいと漏らす姿が本当に切なかった。

ジャーナリストとして生きた時間、家族、愛する人、友人、ビデオカメラ、そして本。
使命、愛しく想う人たち、大好きなものに囲まれて生きた時間が色濃く残っていたからこそ薄れていくことに恐怖を感じるのは幸せだったことを意味するのに、そこに気づけないほど思考が単純化されていくのは脳の病気の嫌なところ。

『本の匂いを嗅ぐと本を深く知れる気がする。バカげているけど好きなんだ』と優しく撫で大事に抱えていた本を想い苦しめられる時間はどれだけ辛いだろう。
『バカげているけど好き』と思える小さな幸せを積み重ねてきた末路に、自分と愛する人両方の涙があるなんて悲しすぎる。

「あなたの家」と妻パウリナが表現すると『君と僕のふたりの家だよ』と自分の家ではないことを否定した。
時が経ち、ふたりの家が「あなたの家」『僕の家』に変わり、最後は【誰の家?】になるのが哀しかった。



ジャーナリストとして生きた時間に出会った人たちへのリスペクトと感謝の想いから、自分の生きる姿を見せることを決めたアウグストが、生きた時間のすべてで使命を果たして天寿を全うしたことに敬服する。
そして、隣で支え続けたパウリナのことも。

余韻とともに思い出すと、美しいと感じた理由はパウリナにあったことに気づく。

美貌はもちろん、心の美しさが声や言葉に表れている。
ジャーナリストとして言葉を扱ったアウグストとは別に、文化大臣としての活動や女優業で言葉を扱うパウリナだからこそ、パウリナから始まる会話がアウグストの薬になる。

アウグストが撮り続けたパウリナの笑顔や、アウグストを見つめる視線の温度がどんな時も変わらなかったのも素敵だった。

愛されるには自分と他者の両方を愛することからということを、ふたりに教わった。



私的には【交】という文字がぴったり当てはまるふたりからたくさんの愛を受けとることができた。
見ているのが辛かったけど、癒されもした。

バカげているけど好きだと言える小さな幸せを積み重ねながら、失うことを怖いと思える大切なものや人に囲まれて、使命を果たして天寿を全うする人生を歩みたい。



多分、わからないけど、日本人がアルツハイマーと向き合う時、アウグストとパウリナのようにはいかないと思う。
言葉の紡ぎ方や愛情表現のカタチは、誰かを支えることが必要な場面で大きく影響するように感じた。
それは、支えられる人・支える人両方に。

確かなことは、交わすことと交えることの両方をやめないことが希望となり光となること。

五感で感じるすべてが自分の命をつくる。
感謝して、還す心を忘れずに生き続ければ、何かを発することができる。
それが言葉なのか態度なのか行動なのか、姿で語れることもあるだろう。

不器用で愛情表現下手な日本人が他国から教えられ気づくことがきっとある。
だから映画鑑賞はやめられない。

ドキュメンタリー映画を多く上映するシネ・ウインドに通うようになり丸一年。
31作品を観ました。

記念すべき一年目の最後に観た作品は【マミー】
言葉で表現して残すには難しい作品なので、これに関しては書かずにおきます。
アウグストやパウリナが観たら、どんな言葉で綴るのだろう…

兎にも角にも、シネ・ウインドという場所で自分を磨き人生を豊かにしてもらえています。

新潟県民が県民性を変えられる場所でもあるように思います。

私にとってはパワースポットとなっているシネ・ウインド。
いつもありがとうございます。

アウグストとパウリナへ敬愛を
シネ・ウインドに感謝を込めて

mana

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