中学校卒業式を終えて
卒業式が終わりました。
前回のブログでビシッと決めたつもりが、読み返したら誤字があってショックでした🥲笑
別にリベンジということではなく…😝
卒業式の出来事と感じたことを書き綴ろうと思います😎
前日に限ったことではなく、ゆめは毎日のように中学校を卒業することを悲しみ嘆いていました。
前日なんてそれはもう耳が痛くなるくらいに、深いため息と「あぁ…やだなぁ」の繰り返し。
宥めるのも疲れてしまったので、顔だけ見つめて放置(笑)
「あぁぁぁぁぁ!ついに来てしまったぁぁぁぁぁ!」
もちろん当日の朝の第一声もこんな感じ😅
「泣いちゃうかもしれない」と言っていましたが、月曜日に卒業式を終えた友人の『悲しさよりも楽しさが勝って全然泣かなかった』という言葉を胸に、どうなるかわからない卒業式に向けて身支度を始めました。
髪は長いほうがいいのでは?という助言を無視してバッサリ短くしてしまったことを後悔したのは写真撮影の時になってからで、SNSで見つけたヘアアレンジの動画を私に見せて、「これにして😘」と久しぶりのアレンジ依頼。
元来不器用なのでアレンジなんて針に糸を通す何百倍も苦手なのですが、いつも頑張っています(笑)
やりながら(小学生みたい…小学生の時よりも幼くないか?)と思っていたのですが、気に入ったようなので安心しました😌
結局自分の身支度の時間がなくなり、適当に髪を結んで出発。
まだ離任式がありますが、卒業式当日も車登校でした。
校門前で車を降りて、「じゃーねー!ありがとー!大好きだよー!」とサラッと呟いて手を振りながら学校へ入っていきました。
卒業式後に手紙をもらったのですが、これまた【ありがとう】の一言だけ(笑)
らしいといえばらしいのですが、ちょっぴり寂しくもあり、そしてこの一言が重くもありました。
信号待ちをしていたら、大きな声で『じゃーねー!』と叫ぶ声。
誰かと思ったら、ゆめの親友がこれまたママの車で登校。
思考が似ています(笑)
朝ご飯を食べ損ねたので、何か少しでも…とコンビニで梅おにぎりを買って食べました。
久しぶりに履いたヒールは歩きづらく、ゆっくりと歩きながら、澄んだ冷たい空気と心のポカポカの心地よい温度差を味わっていました。
受付時間ちょうどに学校へ入り、受付で『鍬間結愛です』と伝えると、それを聞いたママから声をかけられました。
クラスの仲良しグループの一人であり塾仲間の友だちのママでした。
卒業式にはじめましてと挨拶をするのも中学生の保護者らしいのですが、そんなものです。
温厚で朗らかな雰囲気が娘ちゃんと同じで、待ち時間のおしゃべりタイムがとても楽しかったです。
アナウンスでクラス順に入場案内があり、なんとなく列に紛れて体育館に向かっていたのですが、手で持っていたはずのビデオカメラがない!と人の波に逆らいながら控え室に戻りました。
結局バッグの中に入れていたのですが…ゆめに関わる行事ごとでは時々こういうことがあります(笑)
クラスの保護者の一番最後に着席したのですが、最後列の通路側が空いていたのでちゃっかり前に詰めずにそこへ座りました。
列に紛れていたら順に着席させられて背高のっぽのお父さんたちに阻まれて愛しい愛しい我が子の姿が見えなかったかもしれない…誰にも迷惑をかけずにビデオカメラを回したりもしたかったので、希望通りの席に座れて大満足でした。
式が始まるまでの時間は、なぜかソワソワしていました。
自分の中学校の卒業式を思い出して懐かしい気持ちにもなりましたが、それよりもやっぱりゆめのことが気になります。
ヘマをするタイプではないのですが、いつも心配になります。
そうこうしているうちに式が始まり、あっという間に卒業証書授与。
配られた名簿と睨めっこしながら保育園からの友だちや仲良しの友だちの雄姿を見逃すまいと必死に追いかけて、成長を嬉しく思い、自覚するほど頬を緩ませていました。
ゆめは宣言通りに呼名に立派に応えていました。
帰宅後、自分の呼名シーンを何度も見ては「いやぁ最高だろ!」と何度も何度もニヤついて何度も何度も何度も笑って(笑)
自画自賛しすぎと思いながら、それでもやっぱり立派だったので母として誇らしかったです。
校長先生とPTA会長の祝辞を聞いて、(そうか。義務教育が終わるってそういうことなんだ…)と思ったことがありました。
それは、卒業合唱のRADWIMPSの《正解》という曲の歌詞と重なります。
制限時間は あなたのこれからの人生
解答用紙は あなたのこれからの人生
答え合わせの時に私はもういない
だから採点基準はあなたのこれからの人生
「よーい はじめ」
この歌詞は本来【子】や【若者】【学生】に向けてのメッセージかもしれませんが、保護者にとっても大事に胸に刻みたい言葉です。
命にも、親でいられる時間にも制限時間があります。
死んでも親ですが、義務教育終了までは15年しかなく、親の役目と責任が子どもの「よーい はじめ」の前にあります。
子どもが解答用紙にどんな答えが書けるのかは、少なからず義務教育終了までに親や大人が与えたものが影響します。
「答え合わせの時に私はもういない」は確かにそうですが、責任は問われ続けます。
校長の式辞にありました。
『失敗しないように、間違えないように、嫌な思いをしないようにとこれまでは大人にサポートされてきましたが、義務教育を終えるということは自立のスタートであり、自由度や選択の幅は広がりますが、判断力が要求され、責任を負わなければならない…』と。
PTA会長の祝辞では『義務教育が終わりました。15年間お疲れ様でした』と言われ(義務教育が終わったからなんだ…?)と引っかかっていたのですが、卒業合唱を聴いて(あぁそうか。義務教育終了まではそうやって子どもたちを護ることと同時に守り方を教え、制限時間があることの重さと解答用紙の書き方そして答え合わせの方法を考える準備をさせなければいけなかったのか)と納得しました。
そして、私は15年という期間で十二分に責務を果たしてこれたのだろうか?と振り返りました。
制限時間いっぱいまで見守り、解答用紙を覗き見しながら親としての答え合わせをしていくのはこれからですが、少なくとも頑張ってきたと言いきれます。
【おめでとうございます】と【ありがとう】の言葉を受けとめてサッパリとした清々しい気持ちになれたのは、ひとつ答え合わせができたからのように思います。
《結愛》という名に相応しい子に育てたかった。
とりあえず2025年3月現在では、名に込めた願い通りに育っている。
呼名の時の気張り具合とは打って変わって、卒業合唱では一人だけ顔を真っ赤にしてメソメソと泣き涙を拭いながら歌っていた。
最後の学活後は、顔をくしゃくしゃのぐしゃぐしゃにして登場した(笑)
いつでも飾らず素のままで、自分を大事にしながら人を大切にしてきた。
たくさんのお友だちや先生と写真を撮り、楽しそうに笑う姿を見て、名前の通りの人生を歩んでほしいと心から願った。
生まれた日から5,735日。
16歳になるまでに身につけなければいけない力は、家事力以外はつけたんじゃないかな。
『最終的に人を支えるのは、金でも名誉でもなく家事力だ!』と言う人がいるくらいだ。
高校生になったら家事力を身につけてくれることも期待したい。
涙が止まらないほど卒業することを悲しんだ中学校生活。
一緒に泣いてくれた人たちの顔を時々思い出しては心の糧にし、高校生活をさらに幸福に満ち溢れた日々にできるよう邁進してほしい。
臍の緒を首に巻きつけて、生まれる直前は命が危ぶまれたけれど、取り上げられた姿を見て『可愛い❤️』が第一声だった呑気な私のもとでここまで大きく育ってくれてありがとう。
mana