母性

湊かなえさんの作品の熱烈ファンの娘と
公開初日に観た映画【母性】

映画館でホラーを観るのが大好きな私が
過去一番恐怖で震えました。

猟奇的な殺人者と比べても
同等だと思えるくらいに怖さを感じた母の愛。

私は自分の母からもらった愛情を恐怖に感じたことはありませんが、私が知るどのお母さんも実はその恐怖の片鱗は持ち合わせていて、私も例外ではない気がしています。

・・・やんわり「気がする」という言葉を使いましたが、きっとそうに違いないのです。

『歪んだ愛情』なんて言葉を軽々しく使うこともありますが、愛を歪ませてしまっている本人は実は一生懸命で、底の知れない深い愛をもって相手に全てを捧げているような気がします。

その愛で心や体に傷を負わせて越えてしまった一線は『罪』となりますが、それこそ罪悪感のようなものは皆無で、ただただそこにあるのは【愛】

【愛】の漢字の成り立ちを調べると、
こんなふうに出てきます。
👇

【愛】=過去を振り返ること
「旡」「心」「夂」の組み合わせによる「愛」
「旡」は人間が後ろを向く姿
「心」は人間の心
「夂」は人の足を表します。
つまり「愛」とは、人がゆっくり歩きながら後ろを振り返ろうとする心情を表した漢字なのです。

過ぎ去った事柄をすっかり忘れてしまうのではなく、慈しみと懐かしさをもって振り返り、それを大切に育む感情が「愛」なのです。

(先に生を授かり)先を歩む者が振り返りながら後ろを歩む者を待つことを想像すれば、歩き始めた我が子が一歩一歩足を進める姿を愛おしそうな笑顔で待つ親の姿がイメージできます。

はたまた、園児や学生を引率する教育者。

「後ろ」「ゆっくり」という言葉に対して別の捉え方をするならば、過去に抱いた想いの重さでうまく前に向かって歩めない足枷のようなイメージをもつこともできます。

「愛」はもともと「㤅(アイ)」に「夂」を組み合わせた漢字でした。
「旡」は「既」(いっぱいである)「漑」(水をいっぱいに満たす)のように、「いっぱいになる」という意味があります。
「心がいっぱいになる」つまり「胸一杯になって苦しい気持ち」を「愛」というとして、「切ない気持ちで足の進まないこと」を意味するという説明が『愛』の由来をあらわすものとして有力なひとつのようです。

とも書かれています。

そこにとどまりたいという気持ちがあるのか、
とどまりたくないのに進めないのか、
いずれにしても少しだけ心がチクチクします。

大切なのは、
過ぎ去った事柄をすっかり忘れてしまうのではなく、慈しみと懐かしさをもって振り返り、それを大切に育む感情が「愛」なのです。
👆この部分かと思います。

慈しみと懐かしさを思い返せる今を大切に紡いでいるかということが重要です。

娘は中学生になり、新しいお友達もできて
ずいぶんと行動範囲も広がりました。

私が囲うフィールドから外へ旅立つ時期を迎え、
私の望み通りに自分の世界を築き始めている娘を頼もしく思います。

中学校入学前の私の心情

心配をよそに
毎日楽しそうに過ごしているのが
とても嬉しいです。

3歳から保育園に通い、
入園と同時に少しずつ仕事を増やしてきました。

公文の教室を始めたのはまだ娘が入園する前で、あの頃から今もずっと私は両親の力を借りています。

娘は、
急な発熱時
小学校までのお迎え
週末の仕事の間
あらゆる場面でたくさんの人の力を借り
多くの愛情シャワーを浴びながら
ほわほわと成長してきました。

ピアノの先生
劇団関係者の皆様にも良くしていただき、
私という母親だけに囚われることなく、たくさんの大人の姿を見て少しずつ大人への階段を登っているように思います。

【兼愛交利(けんあいこうり)】
という言葉を知っていますか?

「兼愛」は全ての人を愛するという意味。
「交利」はお互いに利益を与え合うこと。

全ての人を愛して
互いに利益を与え合う

親子の関係もこうでありたいと思っています。

親子でいう利益とは、
笑顔・幸せ・成長・思い出…たくさんあります。

親が子の体と心を育て
子が親の未熟な人間力を育む

そんな交利の関係で成長したのち、
社会や自分が生きる小さな世界で兼愛交利の輪がまた生まれ、その輪が広がった先に【平和】というものが築かれる気がしています。

私の場合は、
公文の教室にもたくさんの子どもたちがいます。

スイミングコーチをしていた頃の子どもたちを合わせると、いままで関わった子は数百人。
もしかしたら千人を超えているかもしれません。

「教育者は尊い」と言われる理由は、
子どもたちからたくさんの学びや教えをいただけるからではないでしょうか。

娘との歩みで積み重ねていく経験
多くの子どもたちから教わる知恵と成長の種

それらは私が独り占めしても何の意味もなく、
誰かの役に立てればと思っています。

さて、話は戻り(笑)

『女には二種類あります。母と娘です』
【母性】に出てくる印象的なフレーズです。

私が理想とする母親像は、
実は特にありません。

理由は、私が自分が【母親】だと自覚していないからかもしれません。

朝起きてお弁当を作り、
洗濯をして、
学校や日常生活で困らないように環境を整えて…
というのは特別に母親がすることでもなく、
なら何をもって母親とするのか。

【母】という言葉の意味は父親か母親かを区別するだけにしか機能せず、親の責任はあれど、親だから特別に、我が子だから特別にと、親だけが一生懸命に我が子を育てなければいけないわけではないと思っています。

これはもう何百回と言っていますが、
『子どもは大人全員で育てるもの』

【母性】に登場する母親の共通点は、
狭い世界で生まれた偏りや依存をもつことかなと思います。

捕らわれて
囚われて
抜け出せなくなった籠の中の鳥は、
狭い世界で育まれた愛執の中でしか心を生かせなくなり、やがて心が死んでいくように思います。

私に母親らしさを求めない娘には
感謝しかありません。

私は、私を一人の人間としてこの世界にいさせてくれる娘への感謝の気持ちをカタチに残すことが、私らしい【母親】だと思っています。

知識・知恵・経験・財産
残せるものは残してあげたい。
使うかどうかは別として、
持っているかどうかがまず重要。

地位や名声ではなく、
人間として
人間だから育み、手にすることができる宝を
いつでも渡せるように準備しておきたい。

「あっ、そういえばちょっと相談したいことがあったんだ。聞いてくれる?」

「ちょっとわからなくてモヤモヤしてることがあるから教えてくれる?」

そうやって相談事ができる大人の一人として家にいることが、【母親】だとも思います。

結局何がいいたいか。

『私は早くおばあちゃんになりたいの❤️』

娘がお母さんになることを選ばないのなら、
教室の子どもたちの子どものおばあちゃんになる❤️笑

私はおばあちゃんになるための準備をしながら、
未来の自分の健康と美のために
日々コツコツとケアしています♪

何をしているかって?
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からだバー®︎ビューティーについて

2022.12月半ばより、
クラウドファンディングに挑戦します。

クラファンにかける想いはまた後日🍀

【母性】
『女には二種類あります。母と娘です』
あなたはどっち?
母親である人も、
誰かの子どもである人も、
みんなに観て考えてほしい【女】のこと。

mana

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