武具にして

思い出すと私自身も気持ちが落ち込む出来事ではありますが、20歳を過ぎて少しして、同じ年に、春に一人、夏に一人、大切な友人を亡くしました。
春に亡くなった友人は自殺でした。
東京の大学に進学していたその子と最後に会ったのは、私が東京に遊びに行った時でした。
もともと感情の起伏が激しいタイプで、授業中に急に泣き出すこともしばしば、そうかと思ったら誰よりも明るく花が咲いたように笑う、とても繊細な子でした。
訃報が届き通夜に行った時も、後日友人たちと実家に伺った時も、ご両親に何と声をかけたらいいのかわかりませんでした。
その数カ月後、今度は親友が事故を起こして助手席に乗っていた友人が亡くなりました。
その時も同じように自分の言いたいことがまとまらず、事故を起こした親友の家族にも本人にも亡くなった友人のご両親にもうまく想いを言葉にできず、ただそこにいることしかできませんでした。
二十歳そこそこの未熟者で経験が浅かったこともありますが、国語や道徳の力には自信があったので、自分の気の利かなさや無能さに愕然としました。
ただ、「本をたくさん読んできたことや国語や道徳の学習を通じて育んできた力が、悲しい出来事から自分の心を護る術となった」これは強く感じています。
それまで読んできた本や学習してきた内容には人が亡くなった時に周囲にかける言葉の教えはありませんでしたが、人の生き死にや遺された者がどう生きるかを問う内容にはたくさん触れてきました。
人が生きていく上で自分を大切にし護るために国語と道徳の学びがいかに重要であるか、その考えと想いはいまも強く私の中の核となり続けています。
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Instagram・Facebook・X(旧Twitter)と主たるSNSそれぞれに特徴がありますが、ストレートにリアルタイムで「言葉だけ」を使って人とコミュニケーションをとるのはXです。
覗くとさまざまな人間模様が窺えます。
言葉で人を傷つける人もいれば、言葉に救われている人もいて、吐き出しの場であったり、救い合いの場であったり、冷たさとあたたかさが混沌する不思議な世界です。
顔や本名の公開なしが多い場で、現実とは異なる自分を良くも悪くも演じるというか曝け出すというか、何が真実で何が虚偽なのかもわからぬまま互いに共存するSNSの世界は、人を幸せにも不幸にもします。
この対が生まれる理由も様々あると思いますが、言葉だけの世界において人それぞれの決定的な違いは、その人が生きる時間のすべてにおける国語や道徳での学びが大きく左右しているのではないかと感じています。
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国語は文字を教わって文の書き方・問題の解き方を学習するための教科ではありません。
人が綴り発した言葉に触れ、感じ、考え、自分の存在や生き方を問い続けるための『力』を育むためのものです。
読み取る力、受け取る力、自分に還元する力、誰かのために使う力…能力とは別に、栄養・糧・支えなど武具となる材料が国語や道徳の学びにはたくさん詰まっています。
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【語】としてだけの学びと捉えて国語や道徳を疎かにしてきた結果、いま世の中で何が起きているのか。
戦争が起き、犯罪は増え、自殺者も増加しています。
この問題をどう解決するのか、方法はひとつではありませんが、私は国語と道徳での学びを徹底して教育することで世界は平和になると信じています。
国語の学びは生涯続きますし、続けなくてはいけないものです。
学生だから国語を「習う」のではなく、人だから国語に向き合わなければいけないのだと思います。
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【国語とは、様々な事物、経験、思い、考えなどを、言葉を使って理解し、どのように表現するのかを学ぶ教科。内容を詳細に教えることではなく、言語活動を通して、言葉で正確に理解し適切に表現する資質・能力を育成するもの】
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どんな形でもいいから、大人も子どもも国語に向き合い大切に育み続けてほしいです。
大人が「国語なんて」と疎かにし無下にすることは、罪深いことだと私は思っています。
子どもたちがやさしくてあたたかい武具を手に入れ、上手に扱い、自分と周囲の人を護ることを心から願っています。
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大河ドラマ【光る君へ】
主人公は紫式部。
そして話題の作品【風よ あらしよ】
主人公は伊藤野枝さん。
奇しくも演者はどちらも吉高由里子さんですが、二人の共通点といまこのタイミングで世に強く訴えかけられている理由を考えても、この世界で問題提起されていることの一端に私の中では国語というものが引っかかります。
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「ママは美しい日本語や言葉で正しいことを教えてくれる。ありがとう」
そんなメッセージをくれる娘が、言葉を武具にして自分と大切な人を護る姿を何度も見てきました。
あたたかい体温を感じる言葉が飛び交う日常をみんなで過ごすために必要なことは何でしょうか。
mana