子どもたちが主演・監督の物語
能力を評価してもらう機会はたくさんあります。
運動で、
芸術で、
勉強で
大人なら仕事で、、、
評価されたくなくてもされるのが
テストや通知表。
意図して評価してもらうのが
コンクールなどの賞を受けとれるもの。
評価とは少し別の位置にあれど、
結果が将来を左右することがあるもの。
力を見定めるのは、
あくまでも表面に見えるものが主体となります。
評価はひとつのものさし。
すべては努力の賜物なわけですが、
【結果】としてしか捉えないのはもったいない。
結果しか見てもらえないのは少し寂しい。
賞を獲れれば、本人も周りも喜びますが、
その価値は賞だけにあらず。
評価されるまでの過程がどれだけ輝いていたか、
そちらに目を向けたいです。
並々ならぬ努力を間近で見れる教育の現場には
実にさまざまなドラマがあり、
それが非常におもしろい。
人間が成長する中で味わうさまざまな心の動き。
そこに触れることはとてつもなくエネルギーを要しますが、共に歩む時間の全てはまるで長編映画。
主演も監督も子どもたちなので制御不能ですが(笑)
日常のすべてを物語と捉えると、子どもの数だけ多種多様なストーリーに触れられて、本や映画好きの私としては毎日がとても愉快になります。
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どうしても手が届かない賞もあります。
努力しても、席や数が決まっていれば、
その座につけない人もいます。
けれど、数に上限がないものだったら…?
何人とか、何個とか、そういうのがなければ、
チャンスはいつでも平等に与えられています。
もちろん条件は違っても、それを言い訳にできないほど努力をする人が一人でもいて、その人がチャンスを掴み取ることができているのならば、手にできなかった理由の大半は自分にあります。
エントリーしないことを選択するもよし。
それも道のひとつです。
イスに限りがない挑戦をするかしないかは、
いつも子どもたちに決めてもらっています。
挑戦したい意欲や志の炎は消したくありません。
だから『頑張りたい』と言われれば、
とことん応援すると決めています。
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自分との闘いを制する経験を社会に出る前に何回重ねるかは、結構重要だと思っています。
気持ちと行動の歩幅を合わせる経験も、
気持ちと感情が噛み合わない経験も、
無心と夢中を行き来する経験も、
達成に向けて計画的に行動する経験も、
自分に感動したり失望したりする経験も、
崖っぷちや瀬戸際のドキドキハラハラも、、、
土俵に立った者にしか得られない経験をどのくらいしたかで、面白おかしく生きるための知恵のつき方は変わるような気がします。
できたら、努力が実らなかった…達成できなかったという経験を私の元ではさせたくないのが本音ですが・・・結果を受けとめる、活かす、切り替える、次のステージに向かう…これもまた経験。
『無理』と決めつけない
安易に『やればできる』なんて言わない
過大評価も過小評価もせず、
まずはどうしたいのかを子どもたちに問い、
私が応援できることの範囲を伝え、
最悪・地獄的状況を想像させ、
それでもと言うならば何にでも挑戦させたい🌟
そうして毎年子どもたちと激走して、
年度末は疲労困憊なわけですが(笑)
子どもたちと紡ぐチャレンジヒストリーが、私の人生をエキサイティングなものにしてくれます。
挑戦心と伴走する力を失った時が
指導者としての引き際かな。
今年度の物語が幕を閉じ、
次なる章がスタートします。
愛しき子どもたちと走れるように
ちょっとだけ休憩したら、
また横に並んで走ろう。
mana