2025年、母としての一文字

2025年も母業🤱愉しみました🔥💕

自分で言うのもなんですが、子育ては一生懸命してきました。

「お母さん」と呼ばれるのにはやっぱり未だに抵抗があって(笑)、「お母さん」でいたくない私がいます😜

もともと精神年齢高めの自律した娘が一人なので、子育ては楽で、高校生になった今はもう自由の身😎✨
独身貴族のように私も遊びまわっています(笑)

🙅‍♀️やりたくないことはやらない
🙅‍♀️気分がのらない時は無理をしない
「母としてどうなの?」と言う方もいるかもしれませんが、『主婦だから』『母だから』が重荷となってストレスを抱えて耐える時間は私の人生には要らない時間。

それなら主婦業や母業を放棄して、一人の人間として娘と対峙するほうがよっぽど有意義に大人の責務を全うできます。

元来、取扱説明書のようなものは読まないタイプです。

『育児書なんていらなーい♪』と一切読まずに感覚でやってきたことがBaby Kumonの内容とほぼ一緒だったことがわかった時は、母の子育てと幼少期から触れてきたKUMONマインドの影響を知らず知らずのうちに受けていたのだと感謝しました。

『人は人、よそはよそ』
育児に限らず、あらゆる場面で思っていることです。

『主語は誰?』『主語は何?』
問いかけて、その時優先して大切にすべきものを主語にしてきました。

「親なんだから、いつでも子を主語にすべきで、子が最優先なのでは?」と言う方もいるでしょう。
間違いではないと思いますが、違うとも思っています。

教育現場では、子どもを主語にします。
教育する対象が子どもである学習塾において、子どもが主語であることは間違いありません。

ですが、保護者面談でもお話ししますが、親である前に私たちは一人の人間であることを忘れてはいけないと思うのです。

我慢や忍耐を重責を担っていることと同義に捉えている方もいますが、責任を果たすことに必ずしも我慢や忍耐が必要とは限りません。

親としてどうあるべきかを考慮して選択や判断をしようとすると、どこかで見聞きしたような親らしい振る舞いや子育てにおける誰かが決めたルールに従ってしまい、自分の人生で培ってきた考えや大切にしたい本当の気持ちを見失ってしまうように思います。

誰が育てても同じ人間に育つのなら、親なんてものは必要ありません。

この世界やこの社会が豊かになるためには、愉快な人間たちが必要です。

法を犯すことなく、誰かを不幸にすることなく、社会に認められて、この世界の一員になる🌏
そうであれば、万々歳🙌💕

子どもたちが大人へと成長するために環境がどれだけ重要かはわかっていますが、環境を整える役割を担う大人が生きる環境も同じくらい大切だと思います。

『大人が笑顔でいるから、子どもも笑顔でいられる』
悲しい事件がある以上、これもまたイコールにならないところが残念ではありますが、少なくとも我が子は自信をもって社会に送り出せる人間に育っていると自負しているので、私らしく母としての責務を果たし、私にしかできない子育てができているのではないかと思います✌️

TPOや社会人として守るべきマナーは徹底しますが、個性を隠すことはしたくありません。
恥じる生き方はしていないので😌

これからも、かっこつけずに、気負わずに、私にしか見せられない背中を娘に見せていきます🔥💕

娘にとってどんな母であるかは興味はありますが、聞く必要はないです😛
なぜなら、聞いても何かを変えるつもりはないから😜

ということで、2025年、母としての一文字は【然】

誰が書いたのかは秘密🤫💕笑

mana

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