友に感謝してニヤニヤする一日

(今日のあの人(あの子)の言葉が嬉しかったな〜)とか(今日のあの場面のあの瞬間が嬉しかったな〜)って、一日を振り返ると嬉しかったことがたくさんあって、私は毎晩それを思い出して幸せに浸ってから眠る。
一日の中で反芻して、嬉しいと感じた瞬間の余韻をできるだけ長く味わいながら次の嬉しいを待って、🫶嬉しいと嬉しい🫶を繋いでいく。
ずっと幸せな気持ちでいられるし、小さな嬉しいを見つけて、拾い上げて、紡いで、大きく大きく育てていくことで、外に放出できるようになる。
自分一人がゆるやかに生きていくには少しの息抜きだけで十分な力が湧くけれど、子を育て、人を育て、他者に何かを与えようとするならば、満たす何かが必要で、私は常にその材料集めをしている。

愛は跳ね返ってくるものだと思っている。
同じ形の愛は存在しないし、渡した愛は形を変える。
渡した人から返ってくるとは限らないけれど、思いもよらぬところから意外な瞬間に反響することもある。
だから、少しだけ自分に残して、人に注ぐことを惜しまない日々を過ごしたいと思っている。
もちろん、それが叶うのは周りの人のおかげで、私から始めているように思っている愛のバトンリレーも、実は私がアンカーだったりするのだろう(笑)

昨日嬉しかった出来事をひとつだけここに残すとしたら、友から届いたメッセージ。
私だったらこう言うだろうなとか、私だったらこう考えるだろうなとか、業務の過程で私だったらどうするかを考えていたというものだった。
私の判断基準がひとつのモデルとしてあって、現実の意思決定の場面で私を思い出してくれていることが嬉しかった。

「ここで何を面白がるか」
「どこを問題として見るか」
「何を基準に選ぶか」
「どこで妥協しないか」
「どこは笑って流すか」
思考の癖や価値観の輪郭を、私も仕事仲間や友人たちから日々教えてもらっている。
アップデートするきっかけをくれる周りの方々には感謝しかない。

私はこれまで磨いてきた自分にもそこそこダメな自分にも満足している。(自分大好きだよね😆とよく言われるけれど、否定しないどころか、全力で「そうだよ!」と思うし、言うし、これを読んでいる人はみんな私を大好きでしょう?笑)
だから「好き」とか「信頼している」とかそういう類のことを言われるのももちろん嬉しいけれど、それよりも【私だったらどうするか】を友が自分の思考の道具として使ってくれていることが嬉しかった。
人の役に立ちたいと願いながら生きている私にとって、私という人間が誰かの中でちゃんと機能しているという感覚を教えてもらえるのはとても嬉しいことだから。

きちんと言葉にして伝えてくれる友がいることを幸せだなとも思った。
そしてこうやって昨日のことを思い出しながらブログを書いている最中に、優しさや思いやりの循環の話をした私に、そんなふうに考えられる私が一番優しいと言ってくれたことを思い出す。
これが反芻(笑)
こうして私は今日も幸せな一日を過ごすのです🫶🫶

最近、【余】という字が好きなことに気づいた。
語源や意味から、私の生き方に合う一文字だと感じている。
なぜ【余】が好きで、なぜ【余】を大切にしたいかは、次のブログで書こうと思います🫶
mana