お花と箒といってらっしゃいませ

3年前にいまの家に引っ越した時はまだ冬で。

けれど、
植木鉢にはいつでも花が咲いていました。

季節が変わる毎に植えられる花も変わり、
可愛く咲く花に癒されてから家に入る毎日。

前に住んでいた家では
共同スペースに大きな木があって、
私はその木を見るのが好きでした。

引っ越してその木が見れないことが少し寂しかったけれど、小さめの椿の木も、その下に咲く花々も、植木鉢の花も、どれもみんな大好きで、私の癒しの場所になりました。

『綺麗に咲いたわね』と言いながら、
木やお花に水をやる姿を何度見たことか。

朝は決まった時間に
外からシャッシャッと箒の音。

出勤の時間と外掃除の時間がだいたい同じで、
「おはようございます」を言ってから
軽く世間話をして
『いってらっしゃいませ』と言われ、
「いってきまーす」と応えて車に乗る日々・・・

「いってらっしゃい」と言うことがほとんどな私は、『いってらっしゃいませ』が妙にくすぐったくて、照れ笑いをしながら心晴れやかに出かけることができました。

玄関外は毎日掃除するほど汚れることはなく、
なんだか申し訳ない気持ちでいました。

365日。
多分毎日、朝晩欠かすことなく、冬の日も大雨の日も台風の日もお掃除してくださっていたと思います。

カーポートがない上に除雪車が置いていった雪の塊が溜まる駐車場は嫌だなぁと思う大雪の日は、帰るとすでに除雪されていて、仕事の疲れと寒さによる全身の緊張が和らぐ日もありました。

外で雪かきをしていると部屋から出てきて
『日中頑張ったら腰を痛めちゃって…お任せしてごめんなさいね』と言われたり、
「雪かきは自分でやります」と言っても
『皆さんはお仕事で忙しいでしょうけれど、私は暇だから』と笑って手伝ってくださりました。

車にも自転車にも乗らないので、買い物もゴミ捨てもいつも歩いてお出かけでした。

おいくつかは存じ上げませんが、
母よりもずいぶん上だと思うので
一人暮らしは少し心配でした。

時々朝のいつもの時間に箒の音が聞こえない時があり、その日は体調でも崩したのではないかと密かに想っていたり・・・
そして、夕方お会いして安堵して。

家族ではないですが、
ただのご近所さんとも違う不思議な方でした。

今朝、久しぶりにお会いして
いつものように「おはようございます」
すると、トコトコと車に近づいてきて
『実はね…』

お世話になっていた管理人さん、
10月2日にお引越しされるそうです。

お世話になったのはこちらなのに、
『お世話になりました』と頭を下げられ、
『娘さんと仲良くしてもらっちゃって、会えなくなるのがすごく寂しいんだけれども…』と泣いておられました。

込み上げてくるものがあり、
私も涙して車に乗り込みました。

前の家では
ご近所さんに会うのがとにかく嫌でした。

関わるのが面倒で、
挨拶するのも億劫で。

引っ越して、
名も知らぬご近所さんと
『おはようございます』と笑顔を交わす時間は、
昭和の頃にタイムスリップしたかのように
心あたたまる時間になりました。

それは、
ちょうどいい距離感だからかもしれません。

マウントをとられたり、
噂話のネタにされたり、
そういう心配が全くない世代違いの人たちとは
変に身構えることもなく自然体でいられます。

『何か困ったことがあれば、いつでも声をかけてくださいね』
その言葉にしがみつくことはなくても、
その言葉があるだけで、
もしもの時の不安が少し軽減されます。

心細さが残る時、
玄関の花が
そっと心をあたためて、
目と目を合わせて交わす一言が
心の隙間を埋めてくれていたように思います。

いつもの時間、
いつもの場所に、
いつもの人がいないのは寂しい。

お花はこれからも綺麗に咲き続けるのだろうか。

残りわずかな時間の中で
聴きたい音がある。

明日も聴きたい
箒の音。

明日も聴けるといいな
『いってらっしゃいませ』

寂しすぎる。

mana

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