正義の行方
「思い」「想い」「念い」「憶い」「懐い」
どれも【おもい】と読みます。
人の日常はさまざまな【おもい】にあふれています。
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先日、シネ・ウインドで『正義の行方』という映画を観ました。
観てからずいぶん経ち、いまになってブログを書き始めた理由は、言葉を綴り発信する恐怖を作品中からも感じたこと、けれど自分に置き換えて考えることを繰り返し今の心境を記録しておきたかったこと、忘れてはいけない事件・出来事であること、人生における大事な教訓を肝に銘じるためでもあります。
NHKでも特集され、書籍や過去のニュース記事から気にかけていた人も多いと思います。
書籍と映画どちらも、警察や司法(+メディア)に対する疑念と嫌悪感で溢れていました。
様々な見解があり、様々なおもいがそこにあります。
当事者も第三者もすべて【人】
実在し魂をもつ人間しか存在しない世界で起きた出来事であることが、シーンひとつひとつを振り返る今もなお、震えがおこるほど恐ろしいです。
目があり、耳があり、口があり、考え、言葉にしたり、行動したりを自由にできる人間が作り出す時間と出来事のすべては自分にも他者にも利害をもたらします。
利益を生み出すこともできる反面で【害】をも生み出す人間のこわさは、常に日常と隣り合わせです。
そんなことを考えていたら恐怖で生きることに萎縮してしまいますが、事実この世界に生きる人の中には人を脅かす害悪が存在します。
おもうに、
「思い」「想い」「念い」「憶い」「懐い」
この5つのどれかが欠けていても、この5つのどれかが突出しすぎていても、どちらも害悪の火種になるのではないでしょうか。
正義と検索すると、『正しい道理。人間行為の正しさ』と書いてあります。
作品を見て、もともと理解の難しい正義というものが何なのか余計にわからなくなりました。
【人間は 自分は絶対に正しいと思い込んだ時に 最も残酷な事をする】
司馬遼太郎さんの言葉です。
この言葉は『正義の行方』に出てきた警察・マスコミにぴったりの言葉ですが、私たちの日常でも当てはまることがあります。
人間の行いを人間が言葉で諭すこともできれば、人間の行いが言葉で表現できない領域で世界を狂わすこともある恐怖…どんなに思い返してもこの作品で真っ先に浮かぶのは恐怖で、嫌な形で残響するのも恐怖です。
「思い」「想い」「念い」「憶い」「懐い」
この5つをちょうどよいバランスで育むことが穏やかで平和な世界を築くために必要であるならば、清くあれることを心がけることかなと思います。
清いという言葉は聖書だと清く正しく美しくという意味が含まれているようで…ここでもまた『正しく』が出てきてしまうのですが…。
やっぱり難しいですね、『正義』を扱うことは。
【人間は 自分は絶対に正しいと思い込んだ時に 最も残酷な事をする】せめてこれだけは忘れずに、自分も他者も【ゆるす】を大切にしたいです。
ゆるすの漢字には
「許す」「赦す」「恕す」「聴す」「宥す」
があります。
日本人が使う言葉は本当に巧妙で繊細で奥深いですよね。
固く締められたものや力をゆるやかにするのが
【ゆるす】
このゆるすの精神は現代に必要なものです。
この世界には絶対にゆるしてはいけない人もいますが、ゆるされていい人もいるはずです。
残酷な言葉の刃は鞘に収めたい。
清く美しい日本語を用いる日本人に生まれた意味を忘れずにいたい。
いまの精一杯で綴れるのは、これだけ。
時間が経ち、おかしなこと書いてるなと思ったとしても、そんな自分もゆるしたい🍀
mana