私立受験前に一言

面接とは、【対峙】である。

【対峙する】
この言葉はさまざまな場面で使われる。

意味を検索すると、
①山などが向かい合ってそびえること
②対立する者が睨み合ったままじっと動かずにいること
と出てくる。

言い換えを検索すると、
🟠相手に正面から立ち向かう
🟠物事・出来事に直面する
🟠人の働きかけに応じる
🟠向き合う
という意味になる言葉が出てくる。

受験における面接には、
いくつもの意義と価値がある。

受験時と就職時の面接では本質的に違いがあるが、共通する部分もあり、就職面接前のステップとして受験での面接は貴重な経験となる。

その価値をわからぬまま、「ただ合格をもらうために面接官にアピールする」程度で面接に挑むのは非常にもったいない。

面接してもらうということは、
対峙するチャンスを与えてもらえるということ。

これからの長い人生において自分と人と物事や出来事にどう向き合うかの姿勢を見つめ直す時間でもあり、その姿勢を自己評価できて他己評価ももらえるという絶好の機会だ。

学校で書けと言われた面接シートも、先生と行う面接練習も、受験のための準備ではあるが、準備が一番重要なことではなく、最重要は【自分をどれだけのものに築けているかを知るために活用すること】だ。

何もアピールすることがなければ日々の紡ぎ方や生き方を見つめ直す必要があるし、何をどう書けばいいのかや伝えたらいいのかがわからなければ一日を整理して明日につなげることから始めなければいけないし、陳腐な言葉しか浮かばなければ自分自身や自分が生きる日々を輝く言葉で表現できるように人としてのあり方を正して母国語を学び直さなければいけない。

面接では、
うまく立ち回る力も必要だし、
魅力も必要。

立ち回りが上手な人は経験の量が違うが、経験の全てにどれだけの理由と意義と価値を見出すかの姿勢と思考が結果とその後を変える。

体験を経験にできるかどうかは、忘れ去るのか残し続けるのかの選択を意識的にするかしないかで決まる。

頭や心に留め自分の血肉としたいと思える日々を生きることが一番だが、ぼんやりほわ〜んと過ごした時間にも愛おしさと幸せを感じて大切にしようと努めることも大切だ。

そういうことがわかっているのか、できているのかが、面接の準備や本番でわかってしまう。

わかってしまうことをわからないのも、わからないふりをするのも、それこそが人生を左右する。

【魅】という言葉の本質には、
🟣正体不明
🟣はっきり見ることができない
🟣あやしい
🟣よくわからない
🟣心を惹きつける
これらに加えて
🟡数少ない
🟡好みが分かれる
が隠れていて、
『もっと知りたい、惹きつけられるものの正体を確かめたい』と相手に思わせるのが【魅】とされる。

【魅】を携えていることも武器にはなるが、自分が気づかない魅力とは別に、自分が自分を好きだと思えるポイントやここが魅力だと断言できるところを理解していなければ、【魅】は見え隠れすることもなく、相手には刺さらない。

自分がどういう人間なのかを知ろうとすることが面接準備であり、面接中や面接後にもやるべきことが山ほどある。
面接なんてものは通過点に過ぎないのだから。

物事の全てには必ず結果がつきまとう。
点数も合否も、結果は残る。

ただ、それも通過点であり、長い人生に少しは影響するものの、さほど深刻なことではない。

点数がつくフィールドで闘えないのなら、
自分が闘えるフィールドを見つければいい。

それでも、同じ時間を過ごした中で生じた人との差については理由を考察しなければいけない。

そして、その差は結果だけでなく別の視点でみる必要がある。

そのフィールドで闘わなかった時間に他のフィールドで闘い身につけてきた力と経験があるはずだから、自信をもって自分を認め、別の機会に別の場所で花を咲かせればいい。

そういうことの一切合切をひっくるめて、生きた時間のすべてを「どうだ!」とぶつけるのが面接。

合格率が100%だったとしても、0%だったとしても、生半可な気持ちで挑むことがないように、親として切に願う。

何にしても感謝の気持ちを忘れないこと。

受験させてもらえる
面接してもらえる
評価してもらえる

今回は受験を例えにしているけれど、どんな些細なことにも必ず誰かの存在と力添えがある。

人が気にも留めないくらいの小さなことにも目を向けて、ひとつひとつに感謝の気持ちをもち、「ありがとう」を紡ぐことができたら、どんな結果だったとしてもずっと応援してもらえるんじゃないかと思う。

親心を受けとめて、「どうだ!」と全力でぶつかることを期待しています。

mana

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