あしたの少女

シネ・ウインドでの映画鑑賞
今回は『あしたの少女』
大手通信会社の実習生となった高校生の自死と、
死の真相を追う刑事の姿を描いた作品です。

いろんな見方がありますが、
私にとって印象が強かったワードは
『知らない』

主人公ソヒがダンスに夢中だったことを
両親が『知らない』

なぜソヒがダンスを始めて、そして辞めたのかを
ダンス仲間が『知らない』

ソヒが何を想い、何を考えていたのかを
友人たちが『知らない』

実習先の惨状を
学校側が『知らない』ふり

実習現場と学校側の癒着、その末路を
教育現場の管轄部署が『知らない』ふり

一人の人間の死の裏側にある真実を
警察が『知らない』ふり

『知らない』だらけの救いようのない現実で
唯一ソヒを知ろうとした刑事が、
第二のソヒを生まないために奮闘します。

ソヒが自分の携帯に唯一残していた
自分が楽しそうに笑顔いっぱいで踊る動画。
それがソヒが望んでいた未来。

あしたを望みながら自分は自ら死を選んだけれど
あしたを生きる人にソヒが残せたものは大きい。

過酷な労働環境や弱者からの卑劣な搾取など、
韓国社会の闇が浮き彫りにされた実話。
これが起こったのが2017年。
すごく最近の出来事なんですよね。

労働環境の整備に関しては
日本でも厳しくなりつつありますが、
・男性の有償労働時間が極端に長い
・無償労働が女性に偏っている
・男女とも有償・無償の総労働時間が長い
といった労働時間と賃金についてや
・過剰なストレス
・ハラスメントやいじめによる精神的苦痛
これらは未だ改善されず、
働き方の多様性の欠如に関しても
日本は企業努力が足りないと指摘されています。

『社畜』
主に日本で、
社員として勤めている会社に飼い慣らされ、
自分の意思と良心を放棄し、
サービス残業や転勤もいとわない
奴隷と化した賃金労働者の状態を揶揄、
あるいは自嘲する言葉。

私は、
組織に籍は置いていても
会社に属しているわけではないので自由です。

嫌なら、環境を変える
嫌なら、身の置き方を変える
嫌なら、いっそやめる
これがいつでもできてしまいます。

自営なのでそれなりの苦労はありますが、
自責による苦労なので
基本傷つくことがありません。
無論、誰かに傷つけられ追い込まれることも。

我が子が就職する時、
就職を決めるまでの葛藤や苦難
後悔や決意なんかを『知らない』場合、
現状を想像すらできず
期待を叱咤激励にのせてしまうかもしれない。

何を諦め、
何を選ぶことを前向きに考え、
どんな折り合いをつけて出した結論なのかを、
ソヒと同じように情熱をもって社会に出る時に
彼女にきちんと問うて話を聴きたい。
そう思いました。

日本人は、
右に倣えが得意で
風習や習慣を無視したり壊すのが苦手ですよね。

自己主張することを皆が躊躇すると、
誰も動かない=何も変わらない
の図式が成立してしまいます。

不健全な右に倣えは簡単にできてしまうのに、
健全な主張に対する共感を表に出すことには
躊躇どころかなかったことにしがちな日本人。

それで孤立してしまう人がいるのに、
孤独をつくった張本人である自覚はない。

夫婦間でも、親子間でも、
友人間でも、赤の他人同士でも同じです。

人と関わるって面倒なんですよね。

けれど、
『知らない』ということが
人の死につながることもあるということを
絶対に忘れてはいけません。

そして『知らない』ふりをしてあげることが
時に人を生かすということも。

ソヒは自分の『知らない』の責任の重圧に
心を痛めて押しつぶされてしまいました。

一番の悲しみは、
理想の未来が思い描けているのに
『知らない』ふりをしてしまったこと。

自分の心に蓋をするって悲しいね。

mana

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