〜100年前の暗い歴史に学ぶ〜

【福田村事件】

予告を見てどうしても気になって検索したら、
新潟ではシネ・ウインドでのみ上映とのこと。

結局追加上映が決まりましたが、
行こうと決めた22日に『最終日』の文字。
予約サイトを見ると、残り1席でした。

「運命だ」と思いました。

なんとなく敬遠していたシネ・ウインド。
なぜもっと早く足を運ばなかったのかと
少し悔しい気持ちでいます。

【1985】
私と同じ生まれ年の劇場は、新潟の映像文化の発展と映画を通じた社会貢献を考え、上映活動・映画館史調査を行っています。
様々な市民活動の支援や非営利の「街作り」活動へも積極的に関わっています。

外観も内観も雰囲気よく、
居るだけで気持ちが上がる空間。

「新しい居場所を見つけた」と、
早速会員になりました。

さて、【福田村事件】

事件の概要などはこちら

監督のインタビューもぜひお読みいただきたい🍀
👇

森達也監督インタビュー

作品でまず印象的だったのは、対比。
『明るい/暗い』のように
交わることのないものが
くっきりと正しく分かれていました。

思い出すのは、
怒り・恐怖・不安・恨み・憎しみ
そういったものに支配されている村人の顔
それに反して
喜び・期待・安心・希望・幸せ
そういったものに満たされている行商人の顔

「村人の笑っている顔が一人も思い出せない」
作品の余韻の中でそれに気づいた時、
背筋が凍る思いでした。

『多様性』という言葉が使われるようになり、
一見浸透したかのように錯覚しがちですが
多様性を本当の意味で理解している人は
実は少ないように思います。

『多様性』という言葉を使って
人を無意識に傷つけている人もいるし、
何でもかんでも多様性の一言で片づけたり、
多様性という言葉で自分を擁護したり、
多様性…多様性…多様性…正直うるさい。

「無関心」と言うと冷たいように聞こえますが、
結局のところ
対象が【人】であるならば、
自分とは異なることや
まっすぐ受け止められないものに対して
興味は持てど、干渉しないことがいいのでは?
そんなふうに思っています。

「関心」には、関わるの文字が入りますが、
関わることがいいか悪いかは相手が決めることで
「関わってほしいと願い口にされたら、そこで初めて相手に求められる形で関わればいい」
そう思っています。

相手が求めてもいないのに、
多様性という言葉とともに
その人の感情や考えとは全く別のところで
怒ったり悲しんだりして
『ねー♡』と言われても・・・
それは”憐れみ”であって、
”哀れみ”ですらない。

むしろ何を勝手に感傷に浸っているのだと、
嫌悪感すら抱く人もいるかもしれません。

この映画の『中』での怖さは、
👇
①勝手に抱いた先入観を
「植え付けられた」と他責にしている

②住む世界が狭いことで、偏った教育・偏った価値観・偏った”観の目”をもった村人の多くが、同調の悪を正義だと勘違いしている

③人間が弱肉強食の地獄絵図の中にいる

旅する行商人たちが育んできた
平和・愛・家族・生きる・命に対する考え方は
自分以外の誰かと向き合うことでしたが、
村人たちが生きてきた時間は
結局は矢印が自分に向いていました。

「愚かな村人が知ろうともしなかった村の外の人間にも家族や守らなければいけないものがあることを、露ほども頭に浮かべなかった村人たちは阿保だ」と言えるのもまた、平和ボケの象徴なのだと己を省みています。

けどね、やっぱり思うのです。

行商人は朝鮮人に対して一言も何かを言うことはなかったことを思い出すと、人との関わり方の第一段階として、それはきっと限りなく望ましい正解なのだと。

いま目で見てわかる狭くてちっぽけな「人」の情報よりも、いま相手がしてほしいと望むこと=つまり事実に目を向けて出された手を握ることが大切なのだと。

軽快な音楽に合わせるかのように
嬉々としてはしゃぎ
行商人を追い詰めて
正義だと信じて疑うことなく
一片の迷いもなく
冷酷に微笑む牙と鋭い刃を振りかざし
血で平和を守ろうとした村人たちに
日常のSNS住人なんかを重ねて
この世界は100年前と何も変わっていないのだと
心底嫌気がさしました。

嫌悪と憎悪は違います。

嫌悪と憎悪の受けとり方を間違えている人も多いですが、自分が嫌悪感を抱いても人を傷つけていい理由にはならないし、憎悪は当事者のみができる唯一の闘える手段だと思います。

村人と行商人との間の真実を100%知ることはできませんが、人が殺されて死んだという事実はあります。

人は言葉に騙されやすく、そして侵されやすい。

言葉でしか知り得ない情報を
どう正しく受けとって
どう正しく解釈して
どう正しく生かすのかは
自分次第。

作品を通して
過去に起きた事実と
この世界に起きる現実を結びつけてもらい
たくさんの気づきを得ることができました。

ここに綴ったのは、
あくまでも私個人の解釈と価値観。

誰と擦り合わせるでもなく、
一人一人が考え続けることが大切だと思います。

事件のその後…映画の『外』の怖さにも
目を瞑ることなく向き合いたい。

恐怖から教えられることは山ほどある。

今日観た【almost people】の話はまた今度。

mana

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